すか、それを秘して黒沢琴古に伝えなかったという先達は、誰からそれを許されたものでございますか、その次第相承のほどを承って、根元にさかのぼりたいとこう考えたものでございますから、随分しつこく、その都度都度に、人様にたずねてみましたけれど、ついにわかりません。これまで吹く人も知らないで吹き、聞く人も知らないで聞き、そうして、そこに疑いを起す人すらもなかったということに、かえって、私が驚かされたような有様でございました。尤《もっと》も私に、臨済《りんざい》と、普化《ふけ》との、消息を教えて下すって、臨済録の『勘弁』というところにある『ただ空中に鈴《れい》の響、隠々《いんいん》として去るを聞く』あれが鈴慕の極意《ごくい》だよ、と教えて下すった方はありました。その時、出過者の私は、その方に向って、ではあの尺八の鈴慕は、普化禅師の脱化の鈴の音そのままを取った響なのでございますか、或いは、臨済大師がお聞きになった鈴の音をうつしたのでございますか、とこう申しますと、その方が、イヤそうではない、そのいずれでもない、普化禅師に法を受けた張伯というものがあって、これが洞簫《とうしょう》――今でいう尺八を好くし、普化禅師の用いた鈴の代りにその洞簫を用うることにした、それが鈴慕の起りである――と斯様《かよう》に教えて下さいました時、またしても出過者の私が、それではあの鈴慕は張伯の鈴慕でございますか、と尋ねました。つまり私の心持では、鈴慕は臨済大師の鈴慕か、普化禅師の鈴慕か、ただしはその張伯という方の鈴慕か、ぜひともそれがお聞き申してみたかったのですが、私のたずね方が要領を得なかったせいでしょう、かえって私が叱られてしまいました。ところが今晩になってみますと、そんなことをしつこくたずね廻った私というものの愚かさが、つくづくと身に沁《し》みて参りました」
「どうです、傷は痛みますか」
とピグミーが言いました。
「別段、痛みはしませんが、これが人様の眼に触れて困ります。甲州の上野原の月見寺の時の怪我なんだろうと思いますが、ふだんはなんともございませんが、どうかすると、弁信さん、お前は大変な怪我をしているではないか、肩から左の脇腹まで、袈裟《けさ》がけに刀を浴びせられていますね、よくその傷が治《なお》りましたねえ、痛みはしませんか、とこう言われて、はじめて私が驚くのでございます。私自身にはなんとも、痛みも、痒《かゆ》みも、残るのではございませんが、人様がそうおっしゃって、私を慰めて下さるので気がつきます。着物の上からまで、そんな創痕《きずあと》が見えるんでございますか知ら」
 弁信が白い布を懐《ふとこ》ろへ入れては出し、入れては出しして見せる。それが、その度毎に血に染まっているのです。弁信自身は、拭うても、拭うても、拭いきれぬ血を拭いているとは思わないでしょうが、見ているピグミーは、眼を皿のようにして、そのおびただしい血痕が、弁信のいずれの肢体から滲《し》み出でるのだか、驚惑と、興味と、恐怖とに駆《か》られて見ていたが、やがて気の毒そうに、
「弁信さん、お前もかなり疲れているから、お休みなさい、おいらはこれから出かけます」
「そうですか、お前さん、これからどこへ行きます」
「そうさね、どこといってべつだん当てはないのだが、お前のいま言ったその信濃の国の、白骨《しらほね》というところへでも行ってみようかと思っているのさ」
「あ、そうですか、白骨へ行きますか。白骨へ行きましたら、皆さんによろしく」
「それじゃお前、弁信さん、横になってゆっくりお休み、おいらはこれで失礼するから」
といってピグミーは、軽快に立ち上り、またも籠目形の鉄瓶のつるに足をかけて、自在竹をスルスルとのぼって、天井の簀《す》の間に隠れてしまいました。
 弁信が熊の敷皮の上に横になったのは、そのあとのことで、横になると肱枕《ひじまくら》にスヤスヤと寝入ってしまいました。

         三

 同じ夜の、同じ時刻のことです。
 ところは、信濃の国の、白骨の温泉への山路を急ぐ一人の旅人がありました。
 外は満天の月光でありまして、地は一面の雪であります。
 白骨への嶮山難路を、今の時候に、今の時刻に、しかもひとり旅で辿《たど》るということは、全く思い設けぬことで、何か非常の用向があるか、そうでなければ、ついつい道に迷って、松本平へ帰ることもできないし、そうかといって飛騨《ひだ》の国へ出ようというのは途方もないことです。
 弁信に向ってピグミーが、これから白骨へ出かけてみると言うにはいったが、ここに現われたのは、いくら遠目に見ても、そのピグミーでないことは、姿と、形と、足どりを見さえすれば、誰にもわかることです。
 この時代と、年代とに、雪の白骨道を夜歩くということは、全く途方もない現象というべきで、その人柄と、用向とも、全く想像のほかと言わなければならないが――この旅人《りょじん》には相当のあたりがついていると見えて、さのみ臆する模様もなく、道に迷うている者の姿とも見えず、ほぼ白骨温泉場の道をたどりたどって、ともかくも、梨ノ木平のあたりを無事に過ぎて、つい[#「つい」に傍点]通しの渓流のところまで、さまで深くない雪を踏み分けて、歩み来ったものです。
 そうして、つい[#「つい」に傍点]通しの橋上にかかる時分になって、右しようか、左しようかと、ちょっと思案に立ちどまった時、ふと耳にさわる物の音を聞きました。
 それが例の鈴慕の曲なのです――だが、この旅人は、虚空がどうして、鈴慕がどうしてと、聞きわけるほどの耳を持合わせずに、ただ、笛が鳴る、短笛だ――意外にして意外でないと、足を留《とど》めて、耳をすましただけのものであります。
 この旅人というのは、まぎれもなき宇津木兵馬であります。
 こうして宇津木兵馬は、鈴慕の笛の音に引かされて、白骨の温泉の湯元まで、知らず識《し》らず引寄せられて来ました。
 しかし、兵馬がこの温泉場近いところまで来た時分には、笛の音は全く絶えておりました。
 その時分、温泉宿の中では、池田良斎と、北原賢次とが、炉辺《ろへん》で面《かお》を見合わせ、
「やっぱり鈴慕ですよ、ですがあの鈴慕は、琴古の鈴慕とは少し違うようです」
と北原賢次がまず言いました。北原は、相当に尺八についてのたしなみ[#「たしなみ」に傍点]があると見なければなりません。
「なるほど、今のが鈴慕ですか」
 良斎が言いました。これを以て見れば、良斎の方は、尺八の音について、さまでの造詣《ぞうけい》はないものと見てよろしいでしょう。
「鈴慕には違いないと思いますが、少し手が違います、琴古の手とは手が違うが、音そのものに思わず引きつけられました」
「尺八のわからない拙者も、なんだか、こう聞いているうちに、遠いところへ持って行かれるような気分で、人生の物の哀れとか、悲壮な超人の心の痛みとかいうものに誘われて、縹渺《ひょうびょう》とした心持にされていたのが不思議です。いったい誰だい、あれを吹いていたのは」
「左様、村田寛一ではありませんか」
「いいえ、村田ではない、村田は浄瑠璃《じょうるり》はお天狗だが、尺八の方は、あれまではやれまい」
「では市川君」
「市川は、喜多流の仕舞《しまい》を自慢にしてはいるが、尺八を吹くといったことを聞かない」
「中口ではありませんか」
「中口は、腰折れの悪口こそは言うが、尺八などはわからない男だ」
「そのほかに、われわれの同勢では、あれだけに尺八を吹ける男はありませんね」
「そうさ、もし、ここに君がいなければ、あれは北原だ、と誰も信じて疑わないところだが、あいにく、その当人がここにいてみればなあ」
「今まで、時々、尺八の音が聞えたようでしたが、われわれ仲間の誰かのすさびと思うて、さまで気にも留めませんでしたが、今日という今日は問題です、あの尺八の主《ぬし》が疑問ですよ」
「くろうと[#「くろうと」に傍点]の君が聞いて、問題になるほどの腕がありますか」
「くろうと[#「くろうと」に傍点]は恐れ入りましたが、今のはかけ出し[#「かけ出し」に傍点]のわれわれを動かすだけの味は十分です。だが、あれとても決して、くろうとの吹き方ではありませんでしたね。といって、全くのしろうとではありません」
「どうだい、君、ひとつ、ここで合わせてみたらどうだ、ちょうど、そこに一管がある、君の堪能《たんのう》でひとつ、返しを吹いて見給え」
といって池田良斎は、壁の一隅に立てかけてあった一管の笛に眼をとめました。
 誰か湯治客がこの辺で竹を取って、湯治中の消閑《しょうかん》に、手細工を試みたものでしょう。それを北原に取らせようと慫慂《しょうよう》するのを、北原は首を左右に振って、
「いけません、物笑いですから、よしましょうよ」
と受けつけませんでした。本来、北原賢次は、あまり遠慮をしない男で、所望に応じては、ずいぶん臆面なく吹く方ですが、この時は、なにゆえか謙遜してしまいました。
「君にも似合わない」
と良斎から言われても、北原は、
「及びもつかないことです」
と打消しました。
「いやに、イジけてしまったね」
と追究されても、北原は意地を張らず、
「真打《しんう》ちが出てしまったあとに、ヘボが、わがものがおに飛び出すほど、お笑い草はないでしょう。昔、観世太夫が……」
 北原が、自分の笛を吹かない申しわけに、観世太夫へ尻を持って行くのは飛び離れている、と良斎が思いました。
「観世太夫が、ある時、客に伴われて、とある温泉に逗留《とうりゅう》したことがあったと思召《おぼしめ》せ、その隣室に謡好きがあって、朝夕やかましくてたまらないものだから、太夫が客に向って曰《いわ》く、あの謡をやめさせてみましょうか、どうぞ頼む――そこで観世太夫が朗々として一曲を試むると、隣室の謡がパッタリと止まった、その日も、その翌日も、それより以来、隣室では謡の声が起らない――しかるところ、数日して隣室の客が代ると、また謡がはじまった、太夫殿、あれをひとつ頼む、先日の伝であれを退治してもらえまいか、太夫、答えて曰《いわ》く、あれはいけませぬ、どうして……先日のは下手《へた》といえども、自ら恥ずることを知るだけの力が出来ている、今度のは言語道断……恥というものを知らないから、拙者の謡を聞いても、逃げないで一層のぼせ[#「のぼせ」に傍点]上るに相違ない」
という話を、北原賢次が、池田良斎に向って物語ると、良斎が、
「全く世に度し難きは己《おの》れを知らざる者と、恥を知らざる者共だ」
 哄然《こうぜん》として笑いました。
 これでもか、これでもか、といよいよすりよって、いよいよその醜があがる。御本人は気がつかないで、そばで見ている時に、気の毒と、滑稽とがあるのみだ。
 望まれて、尺八を取ろうともしない北原賢次は、それでも己れを知るゆか[#「ゆか」に傍点]しさがあろうというものである。
 その時、外の戸を、ホトホトとたたいたものがあります。
「たのみます、おたのみ申します」
 これが盛りの時であったなら、戸をたたいたり、案内を乞《こ》うたりするまでのことはないはずなのが、空屋《あきや》同然の今の場合では、それでも容易に応ずる者が無いものですから、
「たのむ――」
と声も高くなり、たたく音も強くなりましたから、北原賢次が聞咎《ききとが》めて、
「誰だい」
といって、立とうとはしません。多分、山へ行った猟師が戻ったものだろう、とは思ったが、猟師ならば、頼むも、頼まないもあったものではない、大戸をあけて、ここへ入り込んで、両足を炉縁《ろぶち》に踏込みながら、獲物《えもの》の自慢話をはじめるのが例になっている。
「どなたもおられぬか――案内をたのみますぞや」
「はてな」
 全く、この冬籠《ふゆごも》りの一座には、聞きなれぬところの声であるから、北原賢次が、ようやく身を起しかけました。
「おかしいな、全くふり[#「ふり」に傍点]のお客らしいが……出てみよう」
 ともかくも、一番先にそれを耳にした人に、出て応対をしてみる責めがあると観念して、北原は立
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