で、その人柄と、用向とも、全く想像のほかと言わなければならないが――この旅人《りょじん》には相当のあたりがついていると見えて、さのみ臆する模様もなく、道に迷うている者の姿とも見えず、ほぼ白骨温泉場の道をたどりたどって、ともかくも、梨ノ木平のあたりを無事に過ぎて、つい[#「つい」に傍点]通しの渓流のところまで、さまで深くない雪を踏み分けて、歩み来ったものです。
そうして、つい[#「つい」に傍点]通しの橋上にかかる時分になって、右しようか、左しようかと、ちょっと思案に立ちどまった時、ふと耳にさわる物の音を聞きました。
それが例の鈴慕の曲なのです――だが、この旅人は、虚空がどうして、鈴慕がどうしてと、聞きわけるほどの耳を持合わせずに、ただ、笛が鳴る、短笛だ――意外にして意外でないと、足を留《とど》めて、耳をすましただけのものであります。
この旅人というのは、まぎれもなき宇津木兵馬であります。
こうして宇津木兵馬は、鈴慕の笛の音に引かされて、白骨の温泉の湯元まで、知らず識《し》らず引寄せられて来ました。
しかし、兵馬がこの温泉場近いところまで来た時分には、笛の音は全く絶えておりました。
その時分、温泉宿の中では、池田良斎と、北原賢次とが、炉辺《ろへん》で面《かお》を見合わせ、
「やっぱり鈴慕ですよ、ですがあの鈴慕は、琴古の鈴慕とは少し違うようです」
と北原賢次がまず言いました。北原は、相当に尺八についてのたしなみ[#「たしなみ」に傍点]があると見なければなりません。
「なるほど、今のが鈴慕ですか」
良斎が言いました。これを以て見れば、良斎の方は、尺八の音について、さまでの造詣《ぞうけい》はないものと見てよろしいでしょう。
「鈴慕には違いないと思いますが、少し手が違います、琴古の手とは手が違うが、音そのものに思わず引きつけられました」
「尺八のわからない拙者も、なんだか、こう聞いているうちに、遠いところへ持って行かれるような気分で、人生の物の哀れとか、悲壮な超人の心の痛みとかいうものに誘われて、縹渺《ひょうびょう》とした心持にされていたのが不思議です。いったい誰だい、あれを吹いていたのは」
「左様、村田寛一ではありませんか」
「いいえ、村田ではない、村田は浄瑠璃《じょうるり》はお天狗だが、尺八の方は、あれまではやれまい」
「では市川君」
「市川は、喜多流の仕舞《
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