れは何と読みますか」
「あれはみちりや[#「みちりや」に傍点]と読みます」
「どういう訳《わけ》ですか」
「さあ――それはわかりませんねえ」
「ひとつ、大和尚に伺ってみましょうか」
「およしなさい、芸もないから」
そんなことをいって、慢心和尚の通る沿道の人が、それを評判しないのはありません。それはこの甲斐の国で、おそらく慢心和尚を知らない人はないのでしょう。それは名刹《めいさつ》恵林寺の大和尚として、学徳並びなしという意味において知っているのではなく、そのブン廻しで描いたような真円《まんまる》い顔と、夜具の袖口を二つ合わせたような大きな口と、釣鐘をかけ外《はず》しをして平気で持って歩くという力量と、愚の如く、賢の如く、凡の如く、聖の如く、そこらを押歩く行動と、その形相《ぎょうそう》に似気なくオホホホホホホと笑う口元に、無限の愛嬌《あいきょう》がたたえられているのと、それらの点によって、名物の意味においての珍重から、何人もこの和尚の印象をはなすことができないのでありましょう。
それで、今も、和尚を見送りながら、何人《なんぴと》も舌をまいて、まず感心しているのはその大力量です。大力量といっても、ここでは超凡越聖《ちょうぼんおっしょう》といったような力量ぶりではありません、眼前、目に見える力量であります。
それは今言う通り、牛もひきわずらうほどの大材木を軽々と肩にかけて、さっさと歩む超人間の力量に、ほとほと舌をまいて、またあいた口がふさがらないのです。つまり牛馬以上の力量に、衆人は驚嘆しているのであります。
群衆が呆《あき》れているのを見かけて、慢心和尚がこう言いました、
「伊太夫のところに不幸があって、わしに供養をしろというから、これをかつぎ込むのだ、みんな見に来たい奴は見に来い、伊太夫のところでは六月の一日に、先祖以来たくわえた金銀財宝を残らず取り出して、欲しいというほどのものに施《ほどこ》しをするそうだ、行ってみたい奴は、おれと一緒について来い」
こういって慢心和尚は、右の肩で卒塔婆を負いながら、左の片手の拳《こぶし》を高く空中につき上げたから、何をするかと見れば、その絶世の巨口をパクッと開いて、児頭大の拳をポカリとその口中へ入れて見せました。かねて噂《うわさ》には聞いていたけれど、これほど大きな口だとは、何人も思いおよびません。
底本:「大菩薩峠10」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年4月24日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 六」筑摩書房
1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年1月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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