う心持が、どうしてもわかりません。
 そこでお雪ちゃんは、思い入り泣いてしまいましたが、身を入れていたこたつ[#「こたつ」に傍点]の火が消えてしまっているというのを知ったのは、その後のことでありました。
 ああ、火が消えてしまった。それでもお雪ちゃんは少しの間、身動きもしなかったが、やがて立ち上って、炭入と十能を取って、丹前を引っかけたまま、障子をあけて廊下へ出ました。

         二

 お雪ちゃんが、炭取と十能を持って外へ出たのは、自分の冷めた炬燵《こたつ》へ、新しく火と炭とを追加のためかと思うとそうでもなく、静かに廊下を通って、右へ鍵の手に廻ったいちばん奥の部屋まで来て見ました。
 そこへ来ると、上草履《うわぞうり》が綺麗《きれい》に一足脱ぎ揃えてあるのを見て、ホッと安心したような思い入れで、外からそっと障子を引き、
「お休みでございますか」
「いいえ、起きていますよ」
「御免下さいまし」
 お雪は障子を引開けて中へ入りました。ここは松の間というけれども、実は源氏の間とでもいった方がふさわしいのでしょう、十余畳も敷けるかなり広い一間ですが、その襖《ふすま》の腰にはいっぱいに源氏香が散らしてある。
「めっきり、お寒くなりました」
「寒くなったね」
 室の主というのは机竜之助であります。竜之助も同じような丹前を羽織って、片肱《かたひじ》を炬燵の上に置いて、頬杖《ほおづえ》をしながら、こちらを向いて、かしこまっておりました。
 何を考えるでもなし、考えないでもなし、白骨の湯にさらされて、本来|蒼白《そうはく》そのものの面《おもて》が、いっそう蒼白に冴《さ》えているようなものだが、思いなしか、その白い冴えた面に、このごろは光沢というほどでもないが、一脈の堅実が動いていると見れば見られるでしょう。例の五分月代《ごぶさかやき》も、相当に手入れが届いて、底知れず沈んでいること、死の面影《おもかげ》のようにやつれていることは、以前に少しも変らないが、どこかにかがやかしい色が無いではない。
 お雪ちゃんは、前へ廻って、そっと炬燵《こたつ》のふとんを開いて手を入れてみて、
「まあ、先生、すっかり火が消えてしまっているじゃありませんか、お呼び下さればいいのに」
と言いました。この娘は自分の炬燵が冷めたのに驚いて、他のことを心配して、ここへまで調べに来て見ると、これは全く火の気が絶えている。
 この人は、長い間、こうして火のない炬燵によりかかって、うつらうつらとしているのだ、かわいそうに……
 お雪ちゃんは、済まない心持になって、炭取を下に置くと、十能だけを持って、自分の部屋へ取ってかえしました。そうして、自分の炬燵から火種をうつそうとしてみたが、これもあいにく、小指ほどの塊《かたまり》と、蛍ほどのが総計五個もあるぐらいで、とてもこれでは、他の火勢を加える足《た》しにならないとあきらめて、でも、その五個ばかりの火を、丹念に十能の上に置いたまま、その十能を大事に持って、三階の梯子段を下におりてゆきました。土間の炉辺まで行って、烈々たる炭塊を十分に持ち来らんがためであるに違いない。
 残された竜之助は、この時、クルリとこたつ[#「こたつ」に傍点]の方へ向き直って、やぐら[#「やぐら」に傍点]の上へ両肱《りょうひじ》をのせて、てのひらで面《かお》をかくして、じっとうなだれてしまいました。
 こうしている姿をごらんなさい。心は無心でも、姿そのものが何を語っているか。
 ああ、おれはもう、生きることに倦怠した……とうめいているのか。
 生きていることが不思議だ……と呆《あき》れているのか。
 いやいや、おれはまだまだ生きる。自分が生きるということは、つまり人を殺すことだ……何の運命が、何の天罰が、この強烈なる生の力を遮《さえぎ》る……と叫んでいるのか。
 さりとは長い長夜《ちょうや》の眠りだ。もういいかげんで眼をさましたらどうだ。
 いつの世に永き眠りの夢さめて驚くことのあらんとすらん――と西行法師が歌っている。誰か来《きた》って、この無明長夜《むみょうちょうや》の眠りをさます者はないか……かれは、天上、人間、地獄、餓鬼、畜生に向って、呼びかけているかとも見られる。
 その時、お雪ちゃんが火を持って来ました。それを上手に組み合わせて、自然に、おこるようにして置いて、灰をかけ、蒲団《ふとん》をかぶせて、お雪ちゃんも、多少遠慮をして、炬燵の一方に手をさし込んであたりながら、
「先生、これからは、もう当分外へ出られません。おひとりでこうしておいでになって、淋しいとは思わない、つまらないとはお思いになりませんか」
「思ったって、仕方がないじゃないか」
「仕方がないっていえば、それまでですけれど……わたしはほんとうに、あなたをかわいそうだと思うことがありますのよ」
「思うことがあるだけじゃつまらない、いつでも思ってくれなくちゃあ」
「でも、怖いと思うこともありますのよ、憎らしいと思うこともありますのよ……そうしてどうかすると、心からかわいそうだと思って、涙をこぼすこともありますのよ。どれが、本当のあなたの姿だか、どれが本当のわたしの心だか、これがわからなくなってしまいます」
 お雪ちゃんはこういっているうちに、またなんとなく悲しくなりました。
 しかしまた気を引立てて、
「先生、きょうは一日、お傍でお話をお聞き申しとうございます。お邪魔にはなりません……お邪魔にならなければ、わたし、自分の部屋へ帰って縫取りを持って参りますから、それをやりながら、ゆっくりお話を伺おうではありませんか」
 こう言って、お雪ちゃんはこたつ[#「こたつ」に傍点]から出て、自分の部屋へ縫取りを取りに行きました。
 その間に竜之助は、横になって、長いきせる[#「きせる」に傍点]をかきよせて、こたつ[#「こたつ」に傍点]の火を煙草にうつして、腹ばいながら一ぷくのみました。
 机竜之助は煙草を一ぷくのんでしまって、吸殻を手さぐりで煙草盆の灰吹の中に、ていねいにはたき、それから暫く打吟じて、二ふく目の煙草をひねろうとするでもなく、そのまま長煙管《ながぎせる》を、指の先で二廻しばかり廻してみました。
 何か縫取物をとりに行ったはずのお雪ちゃんが、存外手間がとれる。待ちこがれているわけでもないが、ちょっと行って、すぐ戻るはずの人が、存外時間をとるのは、多少共に気を腐らせるものです。
 来なければ来ないでいいが、来るといってそこへ出た人が、容易に来ないのは、人をじらすようにもあたる。お雪ちゃんという娘が、決して人をじらすようには出来ていないのだが、故意でないにしても、偶然であるにしても、女は人をじらすように出来ているのかも知れない。
 ところで、その間のちょっとした穴明きの所在に、竜之助は長煙管をカセに使っている。で、二三度クルクルと指の先で廻してみた長煙管を、今度はピッタリと自分の頬に当てて、ヒタヒタと叩いてみました。
 無論、これは寝ていての芸当で、そう食うほどに煙草が好きというわけではないから、自然、煙管の方が扱いごろの相手になります。
 ちぇッ、長い煙管がどうしたというのだ。
 ふと、かれの眼前に、都島原の廓《くるわ》の里が湧いて出でました。
 島原がどうした?
 朱羅宇《しゅらう》の長い煙管の吸附け煙草がどうした。
 ははあ――御簾《みす》の間《ま》から扇の間へ出る柱のあの刀痕《かたなきず》――まざまざと眼の底には残るが、あれが机竜之助のした業だと誰がいう。その時分には、おれも眼が明いていたのだ。あの里の太夫というもの――京美人の粋といったようなものにも、おれだって見参《げんざん》していないという限りはない。
 さあ、それがどうした。
 東男《あずまおとこ》を気取ったやからが、かなりいい気な耽溺《たんでき》をしていたたあいなさ。
 まあしかし、そのたあいないところが身上だ、少しの間でも溺れ得る人は幸いだ、売り物の色香にさえも、つかのまでも酔い得る間が、人生の花というものだな。
 おれは酔えない――おれは溺れることができない。
 不幸だ、この上もなく不幸だ。
 竜之助は、朱羅宇《しゅらう》でも、金張《きんばり》でもない、ただの真鍮《しんちゅう》の長煙管で、ヒタヒタと自分の頬をたたきながら、我と我身を冷笑するのは、今にはじまったことではありません。
 その時です、ちょうど、この室から幾間かを隔てた――多分三階ではありますまい、二階の菖蒲《あやめ》の間《ま》あたりでしょう。そこで、
「デーン」
と張りきれるような三味線の音がしました。眼の働きを失って、しかして、耳の感覚が敏感になったというのみではなく、こんな静かなところで、思い設けぬ音《ね》を聞かされた時は、誰だって耳をそばだてます。
 いわんや、それが引きつづいてかなりの手だれ[#「手だれ」に傍点]な調子で、デンデンデンデンと引きほごされてゆくと、机竜之助の空想もその中に引込まれて、
「珍しいなア、太棹《ふとざお》をやっている」
 全く珍しいことです。日本アルプスの麓《ふもと》の、ほとんど人音《ひとおと》絶えた雪の中で、よし温泉場とはいいながら、不意に太棹の音を聞かせようなんぞとは、心憎いいたずらには相違ない。
 といって、必ずしも、それは妖怪変化《ようかいへんげ》の為す業《わざ》でもあるまい。何といっても温泉場は温泉場である。宿の主《あるじ》が気がきいて備えて置いたか、或いはお客のある者が置残して行ったのを、いい無聊《ぶりょう》の慰めにかつぎ出して、手ずさみを試むる数寄者《すきもの》が、この頃の、不意の、雑多の、えたいの知れぬ白骨の冬籠《ふゆごも》り連《れん》のうちに、一人や二人、無いとはいえまい。
 例のお神楽師《かぐらし》にいでたつ一行のうちにも、然《しか》るべき音曲の堪能者《たんのうしゃ》が無いという限りはありますまい。

         三

 だが、その手は何を弾《ひ》いているのだか、正直のところ、机竜之助にはよくわからない。
 しかし、なかなかの手だれ[#「手だれ」に傍点]であることだけはよくわかる。
 そうだなあ、お染久松の野崎村のところに、あんな三味線の調子があったっけ――といって、それには限るまい。三味線の調子にもそれぞれ型というものがあって、それをいいかげんのところへ、つぎはぎして、そうして一曲をでっち上げるのだ。まあ、何だって大抵は手本の種はきまったものだ――少し数を聞いていれば、これは新しいというのは、ほとんど全く無いものだ。
 しかし、撥捌《ばちさば》きはあざやかだといってよかろう、なかなかの芸人が来ているな。
 太夫《たゆう》は語らないで、三味だけが聞える。それは竜之助が聞いて、野崎か知らと思った瞬間もあれば、そのほかの手も連続して出て来る。何がどうしてどこへハマるのだか、竜之助にはわからなくなる。竜之助にわからないのみならず、玄人《くろうと》でない限りは、その弾く手と節の変りを、いちいちそうていねい[#「ていねい」に傍点]に説明するわけにはゆくまいではないか。
 ただ、弾き手自身は、よほど三味線そのものに興味を持っているところへ、思いがけなく、その好物を探し当てたものですから、ことに、無聊至極《ぶりょうしごく》に苦しみきっているためでしょうから、ふるいつくように三味にくいついて、自分の知っている、有らん限りの手という手を、弾きぬいて見る気かも知れません。竜之助とても、それを聞いて悪い気持はしない。太棹《ふとざお》は、やっぱりこのくらい離れて聞いた方がいいな、ことに、なまじいな太夫が入らないのがいい、三味線だけがいい――と、多少の好感を持つことができたのは幸いです。
 そこで、いつのまにか長煙管もほうり出して、肱枕《ひじまくら》になって、やはり、いい心持で弾《ひ》きまくっている三味線を聞いているところへ、ようやくのことにお雪ちゃんが戻って参りました。
「お待たせ申しました」
「長いじゃないか」
「でも、火をおこしますと、あんまりよくおこって勿体《もったい》ないものですから、これで安倍川《あ
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