馬は眉《まゆ》をひそめて、突立っています。
 その時、暫く思案していた宇津木兵馬は、足を踏みならして、
「そうですか、では、あなたは疲れの休まるまで、休息していらっしゃい、拙者は、ひとりでブラブラと出かけます」
といって、彼はそこを歩き出してしまいました。
「まあ――ひどい人」
 女の驚愕《きょうがく》をあとにして、兵馬は以前の通り悠々閑々たる足どりで、両腕を胸に組んで歩き出します。日本アルプスの大屏風《おおびょうぶ》を背景にして、松本平を前に望むところ――孤影|飄々《ひょうひょう》として歩み行くあとを、女が追いかけました。
「まあ、片柳様、あなたはほんとうに、わたしを打捨《うっちゃ》っておいでなさるのですか」
 兵馬はそれに答えずして、フラフラと歩いて行きます。片柳とは宇津木の変名。
「あんまり、ひどい」
 女は追いかけて、追いすがりました。
「それでは、あなた、約束が違やしませんか」
「約束とは?」
「わたしを救い出して下さる、あなたのお約束じゃありませんか」
「救い出す――いつ、わたしが、そんなことを言いましたか」
「あら、また、あんなことをおっしゃって……あなたをお力にすればこ
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