そんなら、それでいいじゃないか。つまらない、ふざけた、子供じみたいたずらをして見せたものだ。ばかばかしい。お角が再び呆《あき》れ返って、せせら笑いました。
胡麻の蠅というのは、つまり百の野郎だ。百の野郎が、熱海あたりから、くっついて来ているのだ。がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵ならば、何だって、こんな、しみったれたいたずら[#「いたずら」に傍点]をするのだ。
お角は、がんりき[#「がんりき」に傍点]の、甚《はなは》だけち[#「けち」に傍点]な野郎であることを、あざけってみましたけれども、もう少し同情して、思いやってみると、これには、また相当の仕立てがあるかも知れない。
奴、何か人目が忙しいものだから、遠廻しに附いては来ているが、大びらでは立寄れないのだろう。明らさまには、それといって話もいいかけられないのだろう。つまりあいつの身の忙しいのも、今にはじまったことではないが、その忙しさも、世間晴れての忙しさでないことも、大抵はお察し申している。
それでさとれよがしに、こんないたずらをしての思わせぶりだ。
そうだとすれば、笑ってやりたいくらいのものだが、それにしても、やり方がしみったれていると、お角は、やはりあざ笑いを掻《か》き消すわけにはゆかない。
お角としては、この頃中、とかく、がんりき[#「がんりき」に傍点]が焼きもちを焼きたがるのに、うんざりしないでもありません。
思い出してみると、あんな男と一時腐れ合ったのは、お角さん一代の不覚だといわれないこともない。あの時、あんなに熱くなったのは、いま考えてみるとお恥かしい。あれは、一つはお絹という大の虫の好かない女と、意気張りのような具合になったから、それで、まあ、ああものぼせて甲州くんだりまで、追いかけてみたというような役廻りではあったが、冷めてみればばかばかしくって、お話にならないという感じがする。
それにあの時は、本職の方を少し休んで、閑散な身であったから、そこへ多少、魔がさしたのか知れないが、今は痩《や》せても枯れても、一本立ちのお角さんだ。
がんりき[#「がんりき」に傍点]の奴、その時分とは、こっちの歯ごたえが少し違うものだから、やきもきしている。
だが、あいつも、あいつだけに、意地の張った男だから、ことに、いつも色男一手専売の気取りで、女ひでりはないような面《つら》をしてるだけに、引
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