あるべきものを、その絵馬だけは一つ、わざとしたもののように、地蔵の首から、袈裟文庫《けさぶんこ》でもかけたように、前へつるし下げられてあるのであります。
妙なところへ絵馬をかけたものだ、信心の人ならば、少し作法を忘れ過ぎている、また、大人のいたずらにこんなことをするはずはない、と思いましたから、お松はその絵馬を外《はず》そうとして、はじめて、ギョッとしました。
というのは、その絵馬が、大きさにおいても、内容においても、特別に入念の作というわけではなし、その絵も、普通ありきたりの拝礼の図だとか、「め」の字だとか、飾り立てた馬とか、鶏とか、天狗の面とかいったようなものを、型通りに描いてあるものとばっかり、大目に見ていましたところが、手に取ろうとして見ると、それは人間の首を描いてあるのだと知りました。
人間の首も、ただの首ではない、獄門台に梟《さら》されている人間の生首を一つ描いてあることにまぎれもないのですから、お松が面《かお》の色をかえないわけにはゆきません。
「まあ、なんという不祥《ふしょう》な……」
これは誰でもいい心持はしないでしょう。犯《おか》せる罪あって、お仕置に逢って、刎《は》ねられた首が六尺高いところに上げられている運命。それを絵馬《えま》にうつして、神仏の御前に奉納するというのは、全く例のないことで、そうして、いたずらとしても無下《むげ》、非礼としてもこの上もない仕事であります。
それも、子供のいたずらではない。相当の心がけを持って、絵馬師に描かせたものではないが、普通の人が、かなり丹精に、絵馬の筆勢に似せて描いたものであります。
お松は、何ともいえないイヤな思いをさせられながら、手をのべてその絵馬を取外《とりはず》し、なお念のために、その絵馬の裏を返して見ますと、そこには、これも相当の老巧な筆で、単に「巳年《みどし》の男」と認《したた》められてあるのを発見しました。
絵といい、文字といい、これはお松にとっては容易ならぬ謎《なぞ》となりました。これを納めた人の心こそ、測りがたいものだと思いました。
幾度か、打返し打返し見た後に、お松は何かハッと打たれたものがあるように、自分の胸を打つと、馬の背の上から風呂敷を取り出して、その絵馬を包んでしまい、そうして、大切に鞍《くら》の前輪へ結びつけておきました。
そうしておいてから、さて改まった気
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