様のところへでも押しかけて行ってやろうか、という気にもなってみたが、それもまた、おきまりの門口をくぐり直すようでげんなりする――註、若様というのは主膳のことで、あれでもお絹にとっては、若様気分は取去れないものになっている。
で、こんな時にこそ、お客が押しかけて来てくれればいいと思いました。そのお客といっても、ここは隠れ家同様なところだから、滅多な人を引込むわけにもゆかず、来る奴は大抵きまったようなものだから、予想し得るお客のうちでは、この倦怠気分を救い得るに足る奴は、一人もないことになっている。
ツマらない――お絹は投げ出したように、張合いのない生活をさげすんでみたが、
「女軽業のお角って、あのバラガキめ、このごろはどうしていやがるか」
といったような、反抗気分に襲われました。いったい、この女と、お角とは、前世どうしたものか、ほとんど先天的の苦手《にがて》で、思い出しただけで、おたがいに虫唾《むしず》が走るようになっている。その苦手にさえ、ここでは小当りに当ってみたくなるような気分になったのみならず、
「あのがんりき[#「がんりき」に傍点]というやつ、あんな奴さえこのごろは音も沙汰《さた》もない」
とつぶやきました。
そこへ、
「こんちは、まっぴら御免下さいまし」
障子の外から猫撫声《ねこなでごえ》がしました。
来やがった、来やがった、来るに事を欠いて、おっちょこちょいの金公が来やがった。
その声で、お絹はうんざりしてしまったが、まあ、いい、これも時にとっての、おもちゃだ――という気分で、
「金公かえ、おはいり」
と言いました。
「はい、その金公でございます」
お許しが出たと見て、抜からぬ顔で障子を引開けて、ぬっと突き出した金公を見ると、どこで工面《くめん》したか、ゾロリとしたなりをして、本物の野幇間《のだいこ》になりきっている。
「近ごろは、とんと御無沙汰のみつかまつりまして、何ともはや」
といって、人さし指と中指を揃《そろ》えて、額のところをトンとたたき、
「これは、憎らしうございます、朝っぱらから、忍び駒のしんねこなんぞは、憎らしいことの限りでございます、ここは人里離れし根岸の里、御遠慮なくお発し下さいまし、金公の野郎にも一つ、おたしなみの程を聴聞《ちょうもん》仰せつけられたいもので……」
ぬらりくらりと侵入して来て、置きはなしてあった三味線と
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