たのか、それもわからない……そうだ、亭主、その芸者をひとつ、これへよんでくれ」
と仏頂寺が言い出したので、亭主がハッとしました。
 これはよけいなことをしゃべり過ぎた。呼びに行ったって来るはずはない。来ない、といったところでこの連中、そうかと引込む人柄ではない。
 言わでものことを口走ってしまったと、亭主が後難の種を、自分でまいたように怖れ出したのも無理はありません。
 しかし、この亭主の心配も取越し苦労で、仏頂寺、丸山の両人は、酒を飲んでいるうちに、いつしか芸者のことは忘れて、酒興に乗じて、何と相談がまとまったか、やがて、あわただしくここを出立ということになりました。
 二人の相談によると、急に長野方面に立つことになったらしい。
 この連中、思い立つことも早いが、出立も早い。早くも、旅装をととのえ、勘定《かんじょう》を払って宿を出てしまいました。
 だから、宿の主人はホッとして、第二の後難を免れたように思います。
 これら二人の行方《ゆくえ》は、問題とするに足りない。問題としたって、方寸の通りに行動するものではない。
 長野へ行くといって木曾へ行くか、上田へ廻るか、知れたものではない。
 だが、こうして、宇津木兵馬も去り、仏頂寺、丸山も去った後の宿に、椿事《ちんじ》が一つ持ちあがりました。さては、まだ滞在中の道庵先生が、何か時勢に感じて風雲をまき起すようなことをやり出したか。
 そうでもない。
 昨晩のあの芸者が、井戸へ身を投げてしまったということ。
 聞いてみると、事情はこういうわけ。あの女の旦那なるものが嫉妬の結果、あの女を縛って戸棚の中へ入れて置いて、その前でさんざんいびったとのこと。
 そうしておいて、寝込んでしまったすきをねらって、多分、手首を縛った縄を、口で食い解いたものと見えるが、首尾よく戸棚から逃げ出してしまった。
 眼がさめて後、旦那殿は、戸棚をあけて見るといない!
 そこで、また血眼《ちまなこ》になる。
 本来、憎くてせっかんしたわけでもなんでもない。むしろ、可愛さ余ってせっかんしたのだから、こうなってみると、自分があやまりたいくらいなものだ。そこで、昨晩の騒ぎが再びブリ返されると間もなく、飛報があって、女の死体が井戸に浮いている……
 忽《たちま》ち井戸の周囲が人だかり、押すな押すなで、井戸側からのぞいて見ると、さまで深くない水面にありと見えるのは、まごうべくもない昨晩の手古舞《てこまい》の姿。
 ああ、嫉妬がついに人を殺した、焼餅もうっかりは焼けないと騒ぐ。旦那殿は、意地も、我慢も忘れて、自分が溺れでもしたように、大声をあげて救いを求める。
 水に心得たものがあって、忽ち井戸へ下りて行ったが、つかまえて見ると意外にも、それは着物ばかりで、中身がなかった。
 ただし、その着物ばかりは、まごうかたなき昨晩のあの芸者の着ていた手古舞の衣。
 では、中身が更に水底深く沈んでいるに違いない。
 水練の達者は、水面は浅いが、水深はかなり深い水底へくぐって行ったが、やや暫くあって、浮び出た時には藁《わら》をも掴《つか》んではいなかった。
 つづいて、もう一人の水練が、飛び込んでみたがこれも同様。
 水深一丈もあるところを、沈みきって隈《くま》なく探しはしたけれど、なんらの獲物《えもの》がない。
 そこで、また問題が迷宮に入る。
 いしょうだけがあって、中身がないとすれば、その中身はどこへ行った。
 ああ、また一ぱい食った!
 太閤秀吉が、蜂須賀塾にいた時分とやらの故智を学んで、着物だけを投げ込んで、人目をくらましておいて、中身は逃げたのだ。
 どうしても、しめし合わせて知恵をつけた奴がある。
 そうして、この場合、いったん、帳消しになって宿の主人を安心させた宇津木兵馬と、仏頂寺、丸山の両名が、またしても疑惑の中心に置かれる。
 立って無事だと思ったのが、立ったことがかえって疑惑になる。さては、あの連中、しめし合わせて女をつれて逃げたな。
 そこでこの疑惑が、三人を追いかけるのも、是非のない次第です。

         二十二

 兵馬は、札の辻の温泉案内の前に立ちつくして、安からぬ胸を躍《おど》らせておりました。
 そうしているところへ、松本の町の方から、悠々閑々《ゆうゆうかんかん》として、白木の長持をかついだ二人の仕丁《しちょう》がやって来ました。
 兵馬が見ると、その長持には注連《しめ》が張って、上には札が立ててある。その札に記された文字は、
[#ここから1字下げ]
「八面大王」
[#ここで字下げ終わり]
 妙な文字だと思ったが、ははあ、これはこの附近の神社から、昨今の松本の塩祭りへ出張をされた神様の一体か知らん、とも考えられる。
 兵馬は、その長持のあとについて歩き出したが、この長持の悠々閑々ぶりは徹底したもので、到底行を共にするに堪えないから、ある程度でお先へ御免を蒙《こうむ》ることにする。
 そうして兵馬が、長持を追いぬけて、有明道《ありあけみち》を急ぐことしばし。
 ほとんど一町ともゆかぬ時に、戞々《かつかつ》と大地を鳴らす馬蹄《ばてい》の響きが、後ろから起りました。
 そこで、兵馬もこれがために道を譲らねばなりません。道を譲って何気なくその馬を仰ぐと、これもまた驚異の一つでないことはない。
 上古の、四道将軍時代の絵に見るような鎧《よろい》をつけた髯男《ひげおとこ》が一人、巴《ともえ》の紋のついたつづらを横背負いにして、馬をあおってまっしぐらにこちらをめがけて走らせて来るのです。
 おかしい! 夷《えびす》が今時、何の用あって、この街道を騒がすのだ。しかし、それは、やっぱり以前の長持と同じように、ある神社の祭礼の儀式のくずれだろう――と見ているうちに、馬も、人も、隠れてしまいました。
 だが、あの古風な、四道将軍時代を思わせるような鎧はいいが、調和しないのは、あのつづらだ。あれがあまりに現代的で、調和を破ることおびただしい。祭礼の帰りに、質を受け出して来たのではあるまい。同じことなら、もう少し工夫がありそうなものだ。もう少し故実らしいものを背負わせたらよかろう……と、よけいなことながら、そんなことまで、兵馬の頭の中をしばらく往来している時に、
「はい、御免なさいよ」
 気がつかないでいた、今の先、その緩慢ぶりにひとり腹を立って追いぬいて来た、あの悠々閑々たる長持が、はや兵馬の眼の前へ来て、道を譲らんことを求めているではないか。
 このまま立っていると、やはりこの長持にさえ道を譲らねばならぬ。馬も千里、牛も千里だと思いました。
 そこで、兵馬は思案して、今度はしばらくその悠々閑々たる長持氏と行を共にし、少しく物を尋ねてみたいという気になる。
「この長持の中は、何ですか」
「これはね、八面大王の剣《つるぎ》でございますよ」
「刀ですか」
「剣ですよ」
「ははあ……そうして、いま、馬で盛んに飛ばして行った、あれは何ですか」
「あれは八面大王ですよ」
「ははあ……」
 兵馬は、それがわかったような、わからないような心持で、
「八面大王というのは、いったい、何の神様ですか」
「左様……」
 悠々閑々たる仕丁《しちょう》は、そこで兵馬のために、八面大王の性質を物語りはじめました。こういう場合には、その悠々閑々の方が、話すにも、聞くにも、都合がよい。
 八面大王のいわれはこうです――
 桓武天皇《かんむてんのう》の御代《みよ》、巍石鬼《ぎせっき》という鬼が有明山に登って、その山腹なる中房山《なかぶさやま》に温泉の湧くのを発見し、ここぞ究竟《くっきょう》のすみかと、多くの手下を集めて、自ら八面大王と称し、飛行自在《ひぎょうじざい》の魔力を以て遠近を横行し、財を奪い、女を掠《かす》め、人を悩ました。
 坂上田村麿《さかのうえのたむらまろ》が勅命を蒙って、百方苦戦の末、観音の夢のお告げで、山雉《やまきじ》の羽の征矢《そや》を得て、遂に八面大王を亡ぼした。
 その時のなごりで、有明神社の祭礼のうちに、八面大王の仮装がある。
 大王にふんする鬼が、附近の女を奪って帰ると、それを、田村麿にいでたつものが、奪い返して大王の首を斬る、という幼稚|古朴《こぼく》な仮装劇が、ある時代に、若いものの手で行われたことがあるという。
 つまりはその古式を復興して、いま、馬上で走《は》せて行った鎧武者《よろいむしゃ》が、つまり八面大王なのだ、あれが中房へ行くと、田村麿の手でつかまります――という。
 最初の時代には、なんでもあの八面大王が、そこらにいあわす女ならば、女房でも、娘でも、かまわず引っさらって、生《しょう》のままで、荒縄で引っかついで行ったものだが、今は相当遠慮して、女はあのつづらの中へ入れて参ります――という。
 では、あのつづらの中には、かりに掠奪された女がいるのか――その女こそいい迷惑だ、と兵馬が笑止《しょうし》がりました。

         二十三

 こうして仏頂寺、丸山らは、煙の如く長野へ向けて立ってしまい、宇津木兵馬は、アルプス方面の懐ろへ向って参入せんとする場合に、ひとり道庵先生と米友のみが、同じところにとどまっているべき理由も必要も、あるはずはありません。
 果《はた》して道庵先生は、起きて朝飯が済むと共に、床屋を呼びにやりました。
 床屋が来ると、先生は従容《しょうよう》として鏡の座に向い、何か心深く決するところがありと見え、
「エヘン」
とよそゆきの咳払《せきばら》いをしました。
 床屋は先生の心のうちに、それほど深く決心したところがあると悟る由もありませんから、やはり、従前通りの惣髪《そうはつ》を整理して、念入りに撫でつけて、別製の油でもつけさえすれば仕事が済むのだと、無雑作《むぞうさ》に考えて、先生の頭へ櫛《くし》を当てようとすると、
「待ってくれ――少し註文があるですからね」
と右の手を上げて、合図をしました。
 ぜひなく床屋が、櫛をひかえて、先生の註文を待っていると、
「ところで、床屋様、わしは今日から百姓になりてえんだよ……武者修行はやめだ、やめだ」
と言いましたから、床屋はよくのみ込めないでいると、道庵が、
「うまく百姓にこしらえてくんな! 茨木屋《いばらぎや》のやった佐倉宗五郎というあんべえ式に、ひとつやってくんな!」
「お百姓さんのように、髪を結い直せとおっしゃるんでございますか、旦那様」
「そうだよ、すっかり百姓|面《づら》に、造作をこしらえ直してもらいてえんだよ」
 そこで床屋は変な顔をしてしまいました。
 見たところ、相当に品格もある老人で、少々時代はあるが、塚原卜伝の生れがわりといったような人品に出来ているから、相当の敬意を以て接してみると、口の利き方がゾンザイであったり、いやに御丁寧であったりして、結局、この惣髪を、普通の百姓に見るような髷《まげ》に直してしまえ、と註文であります。
 床屋が当惑しているに頓着なく、道庵は、鏡に向って気焔を吐き、
「百姓に限るよ、百姓ほど強い者はねえ……いざといえば、誰が食物を作る。食物を作らなけりゃ、人間が活《い》きていられねえ。その生命の元を作るのは誰だ――と来る。この理窟にゃ誰だってかなわねえ、武者修行なんざあ甘《あめ》えもんだ、おれは今日から百姓になる!」
 さては先生、先日の芝居で、信州川中島の百姓たちが、大いに農民のために気を吐いたのを見て、忽《たちま》ち心酔し、早くも武者修行を廃業する気になったものと見えます。
 つまり先生の考えでは、武芸で人をおどすなどはもう古い、食糧問題の鍵をすっかり自分の手に握って置いてかからなければ、本当の強味は出て来ない――というようなところに頭が向いて、自然、一切の造作をこしらえ直す気になったものと見えます。
 床屋は、やむなく、註文を受けた通りに造作にとりかかる。惣髪は惜気もなくそり落して丸額《まるびたい》にし、びん[#「びん」に傍点]のところはグッとつめて野暮《やぼ》なものにし、まげのところも、なるべく細身にこしらえ上げて、やがてのことに、百姓道庵が出来上ってしまいます。
 道庵つくづ
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