て五情をほしいままにする、という気焔を吐き兼ねて、駒井のいうところに傾聴するのみであった。駒井は水のようにすましこんで、白雲の頭へはいる程度の数字を択《えら》ぶような態度で、
「われわれは、水の色と、温度とを、数字的に見るだけでは足りません、その成分をまた、数字の上に分けてみたくなるのです。つまり、水の中に含んでいるさまざまの有機物を分析して、それを表に現わしてみること――それがまた、進めば進むほど趣味もあり、実際上にも密接な関係を生じて来るのです」
「川の水と、海の水とは、成分がちがいましょうな?」
「それは無論違いますとも。川の水だけでさえ種々雑多な相違があり、海の水とても一様には言えない。たとえば、淡水の氷は、二三寸も張れば人が乗っても危険はないが、海の氷は、二三寸では子供が乗っても破れることがあります」
「そうですか知ら。われわれは単に、川の水は甘い、海の水はからい、という程度にしか見ておりませんでした」
「その海の水のからさ加減も、ところによって非常な相違のあること、川の水の甘さにも、相違のあるのと同じことです」
「塩加減にも、違いがあるのですか?」
「ありますとも……普通の海水は大抵、千分の三十四五ぐらいの塩分を溶解しておるのですが、それでも物を浮かす力はとうてい河の水の比ではない……これは海ではありませんが、アメリカのユタというところにある湖は、千分の二百五十も塩分を含んでいるそうですから、人間が落ちても、どうしても沈まない、この湖では、泳げないものでも決して溺死《できし》をするということがない、また身投げをしても、死ねないからおかしい」
「ははあ……そういうものですか」
 田山白雲は、感心して、沈黙させられてしまいました。
 自分の印象的な、感激的な頭を以て、斯様《かよう》な穏かな説明を聞かせられると、感心の度が深いと見える。駒井にあっては尋常茶飯《じんじょうさはん》の説明も、持たぬ者より見れば、持つ者の知識の影が、大き過ぎるほど大きくうつるのも免れ難い弱点かと思われる。
 かくて二人はまた、海をながめながら海岸を歩んで行くうち、言い合わせたように二人の眼が、ハタと地上に落ちて足をとどめました。
 駒井と、白雲とが、急に踏みとどまった砂浜の上には、ぬかご[#「ぬかご」に傍点]にしては大きく、さつまいも[#「いも」に傍点]にしてはぶかっこうな根塊《こんかい》らしいものが、振りまいたように散乱しておりました。
 田山白雲は、物珍しそうに、わざわざひざまずいて、その子供のこぶしほどの大きさな根塊を、一つ拾い取って打ちながめ、
「何だろう?」
 会話の興味を中断して、白雲はその根塊の吟味にとりかかる。
 見慣れない小さなグロテスク、それも一つや二つならばとにかく、砂浜のかなりの面積の間に振りまかれたように、ほとんど無数に散乱しているものですから、白雲も、特に注意をひかれたようで、特に手にとって熟覧してみたけれども、その何物であるかは鑑定に苦しむ。ただ、ぬかごの形をして大きく、さつまいもに似てぶかっこうな、一種の植物の根塊であることだけは疑いないらしい。
 白雲は腰をかがめたままで、その根塊の一つ二つを拾い、しさいに打ちながめていると、駒井甚三郎は、立ちながら白雲の手元をのぞき込み、
「これはジャガタラいも[#「いも」に傍点]ですよ」
「え、ジャガタラいも[#「いも」に傍点]……?」
「そうです」
 田山白雲はまだジャガタラいも[#「いも」に傍点]を知らなかったが、駒井甚三郎はよくそれを知っている。
 ただ駒井がいぶかしげにそのジャガタラいも[#「いも」に傍点]を眺めていたのは、ジャガタラいも[#「いも」に傍点]そのものが珍しいのではなく、この辺では、まだこれを栽培していないはずなのに、こうも多数に海岸に散乱しているのはなにゆえだろう。
 駒井にとっては、それが合点《がてん》がゆかないので、同時に、これは難破船でもあったのではないか、という疑いも起り、難破船とすれば、それはこの近海に近づいた外国船であろうということまでが念頭にのぼってくるので、かなり遠くまで考えながら立っているのでありました。
 田山白雲は、そんなことは頓着なしに、ただ単純に、その根塊を珍しがって、
「ははあ、これが音に聞くジャガタラいも[#「いも」に傍点]ですか?」
「関東で清太いも[#「いも」に傍点]というのがこれです、ところによって甲州いも[#「いも」に傍点]だの、朝鮮いも[#「いも」に傍点]だのといって、上州あたりでもかなり作っているはずですが……」
「いや、拙者は、はじめてお目にかかりましたよ、うまいですか……?」
 田山白雲は、そのうまそうな一つをヒネクり廻すと、駒井が説明して、
「うまいというものじゃないが、滋養に富んでいて常食にもなります」
「米の代りになりますか?」
「外国では、米の代りに、常食としているところがあるそうです。濃厚な肉食をしている西洋人は、副食物のようにして、好んでこれを用います。ですから、或いはこのジャガタラは、西洋人が落したものかも知れません。もしそうだとすれば、ワザと捨てたのか、それとも船がこわれたのか……」
「腐ってはいないようだから、ワザと捨てたんではありますまい、この辺の百姓が作って、干して置いたのを、波にさらわれたのではないかしら?」
「そうかも知れません……しかし、まだこの辺の百姓が、ジャガタラいも[#「いも」に傍点]を作っているのを見かけませんが……」
 駒井は、まだこのジャガタラいも[#「いも」に傍点]の存在に不審が解けきれないでいると、白雲は画框《がわく》を岩上にさし置いて、懐中から風呂敷を出して砂上にひろげ、
「それほどうまいものなら、持って行って食べてみましょう……西洋人に食えるものが、われわれに食えないというはずはない」
といって、その根塊の特にうまそうなのを選んでいちいち拾い上げて、その風呂敷に包みはじめました。
 田山白雲は、晩餐《ばんさん》の賞美の料としてのジャガタラいも[#「いも」に傍点]をブラ下げて行くと、駒井甚三郎は、白雲のために、代って画框を受取って、海岸を帰途につきました。
 その時、駒井はこんなことを言いました。
 もし、自分が海外のいずれへか植民をしようという場合には、とりあえずこのジャガタラいも[#「いも」に傍点]を植えつけてみたい。その手始めに、この地方へ栽培を試みようと思ったが、ツイにそこまで手が廻らなかったのが残念だ。船を造ることに急にして、農業のことを忘れたのが残念である――植民は農業から始めなければならぬ――というようなことを言う。
「いけないのは、武力を以て、従来の土着の者を征伐して、その耕した土地を奪おうということです。それで一時成功しても、永く続こうはずがありません。やはり、新天地を求めて、自分から鍬《くわ》を下ろして、土地を開かなけりゃうそ[#「うそ」に傍点]です」
 駒井はこのごろ、新しくそれを悟ったもののようにつぶやく。
「その新天地というのは、いったいどこにあるんです?」
 白雲がたずねる。
「至るところに新天地はありますよ、われわれはまず、このジャガタラの地方へ行ってみたいと思う」
「ジャガタラとは、どっちの方面ですか?」
「この海を南の方面へ行きます――大陸に渡ってみようか、或いは孤島に根拠を置いてみようか、その辺のことを考えています」
 駒井は絶えず、その行くべき新天地の空想を頭に描いている。駒井の頭では、空想ではないが、白雲には、その内容を実際的に想像する由がないから、
「とにかく、新しい国を開いて、その王になるのは、愉快なことには違いない」
「それは違いますよ、王になろうなんていう心がけが違っています、われわれが新しい土地を開こうとするのは、自らも王にならず、人をも王にせず、人間らしい自由な生活をのみ求めたいからです……われわれの海外移住を、山田仁右衛門のそれと比べると違いますよ、われわれは王にならんがために外国へ行くのじゃなく、農にならんがために行くのです」
「いいですとも……それでも結構ですよ。その場合には、拙者も筆をなげうって、鍬をとる位は雑作《ぞうさ》ありません」
「筆をなげうつ必要はありませんね、食物を土から得て、その次に、自分の天分を思うさま発揮してみたいじゃありませんか」
「なるほど」
「あなたは絵筆を持ちながら、そういうことをお考えになったことはありませんか、つまり、衣食のことをです」
「衣食のこと……? それを考えないでおられるものですか、これでも、妻も子もある男ですからね」
 白雲は、まじめに言う。
「要するに衣食のためですね……主人につかえれば、主人より衣食を受くるむくいとして、自分の自由を犠牲にすることもあるでしょう、衣食のために、心ならずも、美術を売り物にするという心苦しさもないではありますまい」
「ありますとも、大ありでさあ」
 白雲の磊落《らいらく》に答えたのが、しおらしく聞える。
「だから、どうも、人間は衣食を土から得ていないと、本当の自由が得られないようです。自由のないところでは、生きた仕事はできませんからね。ところで、その土というものが、今ではみんな大名のものになっていますから、それを耕してみたところで、得るところは大部分、大名に取られてしまい、残るところの極めて僅かな収入で、生きて行かねばならぬ百姓ほど、哀れなものはないでしょう――してみると、大名の所有以外に、耕すべき土地を求めなければならない道理です」
 駒井は、近ごろようやく、深くこの感じを持たせられたと見えて、その言うことが親切です。白雲はそれをも感心して、
「なるほど、その通りです」

         十五

 二人が外出のあと、支那少年の金椎《キンツイ》は、料理場で料理をこしらえておりました。
 その以前は、駒井とほとんど二人暮しでありましたから、台所の仕事も二人前で済みましたけれど、このごろは客がふえましたから、金椎の仕事も多くなったのは当然です。
 君子は庖厨《ほうちゅう》に遠ざかる、と聖人が言いましたが、金椎のこの頃は、庖厨の中で聖書を読むの機会が多くなりました。
 それは金椎自身が、料理は自分の職分と考えていたから、人の少ない時は少ないように、多い時は多いだけの努力をして、この方面には、誰にも手数も心配もかけまいとの覚悟を以て、この城廓の大膳《だいぜん》の大夫《だいぶ》であり、大炊頭《おおいのかみ》を以て自ら任じているらしいのです。
 ことに、人が幾人ふえようとも、先天的に、話相手というものの見出せない不具な少年にとっては、かえってこの台所の城廓が、安住所でもあり、避難所でもあり、事務所でもあり、読書室でもあって、甘んじてここに納まって、職務以外の悠々自適を試みているというわけです。
 とはいえ、その職務に対しても金椎は、また大いなる研究心を持っている。研究というのは、自分が食事をつかさどる以上は、なるべくよき材料を、よく食べさせたいという念願、いかにしたらば、よき材料が得られ、それをうまく人に食べさせることができるか、という工夫であります。
 金椎はこの範囲で、絶えず料理法の研究を頭に置いている。それはかねてより、自分にも料理の心得があって、外国船に乗込んでいる時分にも、支那料理について、なかなかの手腕を持っていることが船長を喜ばせたり、乗組員に調法がられたりしていて、ある外国人の如きは、金椎の庖丁《ほうちょう》でなければ匙《さじ》を取らない、というのもありました。
 ここへ来ても、駒井甚三郎のために、金椎が独特の支那料理の腕前を見せて、一方《ひとかた》ならず駒井を驚かせたものです。
 ことに感心なのは、こういった不便利だらけの生活におりながら、比較的とぼしい材料に不平もいわず、その少ない材料の範囲で、いかにもうまい手際を見せて、駒井の味覚に満足を与える働きに、感心しないわけにはゆきません。
 その金椎の料理方の腕前を、駒井が推賞すると、金椎はわるびれもせずに、
「料理では、支那が世界一だそうですね」
 駒井は
前へ 次へ
全26ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング