行をしないとおっしゃったから、その証明として申し上げるまでですよ」
北原賢次は、それから、神主であり、登山家であり、修行者である松本の藤江正明翁が、三十までしか生きないといわれた虚弱な身を以て、いかにして、それほどに超人的な身体《からだ》をきたえ得たかという実験を、細々《こまごま》と語り出でたのは、一座の人を、本心から傾聴させるの価値がありました。
そこで池田良斎も、日本の山岳と、神霊との間には、離るべからざる関係があって、大和の三輪山あたりは、山そのものが神社になっているあたりから説き出して、修験道《しゅげんどう》も、半ば神道のものであり、自分の知れる限りにおいては、まだまだいくらも高山に登ることを好み、高山を修行の道場とする神主のあることを、実例をあげて説き出そうとするものだから、山の通人がいよいよセキ込んで、
「イヤ、物はそう一概に言うものではない、例外というものもあるし……」
とさわぐのを、良斎が尻目にかけて、
「それから、あなたは、馬琴の常夏草紙《とこなつぞうし》の中に、多摩川の岸に、大和なでしこ[#「大和なでしこ」に傍点]が咲き乱れていると書いてあったといいますが、どの
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