やんだ様子。犬は静まったが気のせいか、周囲の竹藪《たけやぶ》が、しきりにザワザワとざわついているらしいのが一層気になる。
「ハハハハ……」
と神尾は、わざとらしく高笑いして、このところへ、今その当人の現われ出づるのを待つもののようです。
だがしかし、主膳の言うことは嘘ではありませんでしたが、見当違いでありました。
その使の者というのは、戻って来たのではなく、これから出て行くところであります。
出て行く時に、尋常に門をくぐらないで、門の中に生えた竹によじのぼり、その竹のしない具合を利用して、ポンと塀の外へ下り立ってしまったものだから、おりから通りがかりの野良犬を驚かしたものと見えます。
この男は地へ下り立つと、パッパと合羽《かっぱ》の塵を払い、垣根越しに屋敷の奥の方の燈《ともし》の光をすかし、それから笠を揺り直し、草鞋《わらじ》の紐《ひも》をちょっといじってみて、
「二足のわらじははけねえ……色は色、慾は慾」
とつぶやいてみたが、
「両天秤《りょうてんびん》にかかると、命があぶねえぞ……」
とその足を二三度踏み慣らしてみて、それからかきけすように姿をかくしたのは、裏宿《うらじゅく
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