高利貸でもしていて、「わたしの家はアイスクリームよ」とでも言おうものなら、この通人は真顔になって、「それはお菓子い御商売です」としゃれたかも知れません。
 こういう通人の入り込むこともまた、山の炉辺の一興でありましょう。

         九

 その翌日、お雪は柳の間に籠《こも》って、いつになく冴《さ》えない色をして、机に向って筆を執っている。

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「弁信さん――
あたし、きょうもまた、ひとりで、無名沼《ななしぬま》まで行って来たのよ。
四方の峰から、雪が一日一日に、谷に向って強い力で圧《お》してくる中を、毎日、悠々閑々《ゆうゆうかんかん》として散歩にであるく、わたしをのんきだとは思わない……?
その実、沼まで行く道だって大抵じゃないのよ。けれども、天気さえよければ、毎日一度は、あの沼まで行って見ないと気が済まないの。それも、人にことわると留めますから、わたし一人で、ないしょで行きます。
以前にも申し上げました通り、この沼は、わたしを引きつける力が有り過ぎます。
あの事件があって以来、少しの間は遠ざかっておりましたけれど、どうしても引きつけられてしまいます。怖
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