一週間、山中の小屋で水ばかりで生きており、雨がやむと、その足で頂上へのぼり、ゆるゆる遊覧して下山し、宿屋の者を驚かしました」
「そりゃ、あんまり……」
「まあ、お聞きなさい。それから藤江老人が、この乗鞍へ登った時も、頂上で暴風雨にあいました。動くとあぶないから、岩に身を寄せて待っていると、七ツ時から始まった暴風雨が、翌日の五ツ半時まで、ちょうど十七時間つづきました。その間、老人は単衣《ひとえ》一枚で、乗鞍ヶ岳の頂上の岩石に身を寄せて、その危険を逃れたのですが、いかがです、これらは人間業とは思われますまい……藤江老人は神主様でございます」
「そんなことが、有り得べきことでない、有り得べからざることだ」
と山の通人は、躍起となって叫び出すと、北原賢次は冷然として、
「有り得べきことか、有り得べからざることか、現在この拙者が、その老人の冒険を、実際に見聞しているのだから仕方がない。といっても、それだけの鍛練が、一朝一夕で出来るわけではありません、本来虚弱な藤江老人が、どうしてそれだけの胆力を養い得たかということをお話ししましょう。それというのも、あなたが、神主は高山に登らない、神主は高山で修行をしないとおっしゃったから、その証明として申し上げるまでですよ」
 北原賢次は、それから、神主であり、登山家であり、修行者である松本の藤江正明翁が、三十までしか生きないといわれた虚弱な身を以て、いかにして、それほどに超人的な身体《からだ》をきたえ得たかという実験を、細々《こまごま》と語り出でたのは、一座の人を、本心から傾聴させるの価値がありました。
 そこで池田良斎も、日本の山岳と、神霊との間には、離るべからざる関係があって、大和の三輪山あたりは、山そのものが神社になっているあたりから説き出して、修験道《しゅげんどう》も、半ば神道のものであり、自分の知れる限りにおいては、まだまだいくらも高山に登ることを好み、高山を修行の道場とする神主のあることを、実例をあげて説き出そうとするものだから、山の通人がいよいよセキ込んで、
「イヤ、物はそう一概に言うものではない、例外というものもあるし……」
とさわぐのを、良斎が尻目にかけて、
「それから、あなたは、馬琴の常夏草紙《とこなつぞうし》の中に、多摩川の岸に、大和なでしこ[#「大和なでしこ」に傍点]が咲き乱れていると書いてあったといいますが、どの
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