うに書いて出したそうですが、あんなことを書くと、笑われますよ」
「わたし、そんなことを書きましたか知ら?」
「は、は、あなたは、ツガザクラという植物を知らないのでしょう」
「ええ」
「あれは高さ四五寸の、灌木《かんぼく》というものだ、四五寸の植物の下を人間が通れますか、生物知《なまものじり》を書くと笑われますよ」
と言って山の通人が、ある晩のこと、炉辺に人が集まった時を見越して、わざとお雪ちゃんに向って、こんなことをいいましたから、お雪は真赤になって、
「そうでしたか知ら?」
自分は、そんなことを書いた覚えはないのに、この通人は、わざと人前で、聞えよがしに言うのは、ツマリ自分の知識のほどを、人に見せつけたいという根性が、ありありと見え透きましたから、一座の人も、何となく不愉快に感じましたが、お雪は強《し》いてそれを争おうともしませんでした。
山の通人は、いよいよソリ身になって、
「そんなに恥かしがることはありませんよ、この間も、馬琴の小説の常夏草紙《とこなつぞうし》というのに、多摩川の岸に、大和なでしこ[#「大和なでしこ」に傍点]が咲き乱れていると書いてあったから、わしがウンと笑ってやりました」
通人というのは、お召を着てオホンと取澄ますばかりが通人ではない。自分の持っている知識を鼻にかけて、人を見おろしたがるのは、山の通人にもあるのか知ら、と一座の者が思いました。
いったい、山岳にでも登ろうとするほどの人は、もっと、気象高大に出来ていそうなものだが、クダらない通人もあるものだ、と思いました。
それから、話があぶみ小屋の神主のことになると、山の通人が、それをもセセラ笑って、
「何ですって、神主様が行《ぎょう》をしていて、乗鞍の山へ平気で往復する――そんなことがあるものか、それは嘘だろう」
「いいえ、嘘ではありませんよ」
「神主様というものは、そんな行をするもんじゃない――それは修行者だろう。いったい、神主サンは高山に登らないものだよ」
山の通人は、眼中人なきが如くに一座を見廻して、とりすましました。
一座の中には、万葉学者の池田良斎先生もいれば、その他、多少の教養もあり、山の知識経験を持っているものもあるのですが、この博識ぶった山の通人は、天下に山のことを心得たものはおれ一人、という気位を見せたものですから、一座の中から、
「ヘエ、神主サンというものは
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