ふ》しが自由にならなかったもので、あの人の剣法が音無しの構えと言われるようになったのは、それから後のことだと聞きました」
「なるほど、なるほど」
「その時分には、もう、名ある剣客で、竜之助さんの前に立つ者は一人もなかったといわれます」
「うむ、うむ」
「けれども、あのお父さんばかりは許さなかったそうですよ――お父さんという人は、甲源一刀流の出ではありますが、柳生《やぎゅう》、心蔭といったような各流儀にわたっており、それぞれの名人たちの道場をも踏んで来た人ですけれども、竜之助さんの剣術というものは、ちょっとも自分の道場の外で鍛えた剣術ではないと言います。それだのに、腕はお父さんよりもすぐれているということですから、眼中に人のないのも慢心とばかりはいえますまい、人も許し、われも許していたのですが、お父さんばかりは、最後まで許さなかったと申します」
「なるほど」
「そのうちに、あの人が実地に人を斬ることを覚えるようになりました……今になれば、それが思い当ることばかりですが、その時分、そんなことを知った者は一人だってありゃしません」
 雲衲《うんのう》は伏目になって、燼《もえさし》の火を見ながら語りつづける。
「そこで、わたしは、今でも思い出してゾッとするのですが、竜之助さんが九ツの時でした、その時分はよく子供らが集まって、多摩川の河原で軍《いくさ》ごっこをしたものですが、ある時、あだ名をトビ市といった十三になる悪たれ小僧が、それがどうしたことか、竜之助さんの言うことを聞かなかったものですから、竜之助さんが手に持っていた木刀で、物をもいわず、トビ市の眉間《みけん》を打つと、トビ市がそれっきりになってしまいました……子供らはみんな青くなって、河原に倒れたトビ市をどうしようという気もなくているところへ、漁師が来てお医者のところへかつぎ込みましたが、とうとう生き返りませんでした……それでも後は無事に済むには済みました、が、その時から、子供たちも、竜之助さんの傍へは近寄らないようになりました。その後、御岳山の試合で、宇津木文之丞という人を打ち殺したのもあの手だと思うと、やはり子供の時分から争われないものです。あの時だって、あなた、トビ市を打ち殺しておいて、あとで人相がちっとも変りませんでしたもの……御岳山の時は、わたしどもは、あっちにはおりませんでした。こちらへ修行に来てしまいまし
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