わが微賤《びせん》なる宇治山田の米友に於てもまた、この「あがつまの国」にやるせなき思いが残るのです。
 それ以来、米友には死というものが、どうしてもわからない。死というものを現に、まざまざと実見はしているけれども、その実在が信ぜられない。
 このたびの道中に於ても、米友が――若い娘を見るごとに、それと行き違うごとに、物に驚かされたように足を止めて、その娘の面《かお》を篤《とく》と見定め、後ろ姿をすかし、時としては、ほとんど走り寄って縋《すが》りつくほどにして、そうして、諦めきれないで、言おう様なき悲痛の色を浮べて立つことがある。その時にはさすがの道庵も、冷評《ひやか》しきれないで横を向いてしまうことさえある。
 さればこうして高きところ、人無きところに立って、感慨無量に「あがつまの国」を眺めるのも無理はありますまい。
 さて、米友をひとりここへ残しておいて、連れの道庵先生はどこへ行っている。
 道庵は峠の町で少し買物があるからといって、米友を先に、この熊野の権現の石段を上らせておいたのですが――それにしても、あんまりきようが遅い。
 道庵の気紛《きまぐ》れは、今にはじまったことではない
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