け込みました。
「やい、やい、軽井沢にゃあ、宿役も、問屋も無《ね》えのかい、人がヒドイ目にあっているのを、助けるという奴がいねえのかい。冗談じゃねえ、おいらの先生をヒドイ目にあわせようという奴は、どこにいるんだ、やい」
 米友がこう叫んで歯がみをしながら、軽井沢の町の真中を走《は》せ通りました。
 またいけない! とその声を聞いた町の者が、再び顫《ふる》え上りました。あのお医者さんの連れというのが来たな、いいところへといいたいが、ほんとうに悪いところへ来た。一人でたくさんなのに、また一人ヒドイ目に逢いたがって来た。裸の松の怖るべきことを知らないで、相手になりたがって来た。いったい、気が利《き》かないじゃないか。桝形《ますがた》の茶屋の番人は何をしている。あそこで食いとめて、こちらへ入れないようにしたらよかりそうなものじゃないか。
 入って来た以上は、仕方がない――
 その時です。歯がみをして、軽井沢の町へ怒鳴り込んだ宇治山田の米友は、ふと足もとにころがる一つの提灯《ちょうちん》を見て、まず穏かでないと思いました。
 その提灯は梅鉢の紋、それがいわゆる菅公以来の加賀様の紋であって、その下
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