下げ]
碓氷峠のあの風車
誰を待つやらクルクルと
[#ここで字下げ終わり]
 あの風車を知らない者には、この俗謡の情趣がわからない。
 誰が、いつの頃、この石に風車の名を与えたのか、また最初にこの石を、神前に据《す》えつけたのは何の目的に出でたものか、それはその道の研究家に聞きたい。
 一度《ひとたび》廻《めぐ》らせば一劫《いちごう》の苦輪《くりん》を救うという報輪塔が、よくこの風車に似ている。
 明治維新の時に、神仏の混淆《こんこう》がいたく禁ぜられてしまった。輪廻《りんね》という仏説を意味している輪塔が、何とも名をかえようがなくして、風車といい習わされてしまったのなら、右の俗謡は、おおよそ維新の以後に唄われたものと見なければならないのに、事実は、それより以前に唄われていたものらしい。
 しかし、昔も今もこの風車は、風の力では廻らないが、人間が廻せばクルクルと廻る。物思うことの多い若き男女は、熊野の神前に祈って、そうしてこの車をクルクルと廻せば、待つ人の辻占《つじうら》になるという。
 宇治山田の米友は、そんなことは一切知らない。米友は風習を知らない。伝説を知らないのみならず、歴史を
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