人は総出で、茂太郎の踊りを見に集まりました。
 踊る人が出て来たので、囃し手の弾《はず》むのは自然の道理であります。
 今や、艫の方から踊りながら歩いて来た茂太郎は、甲板の真中まで踊り進んで来ました。船の中の人という人は、みんな集まってこの踊りを見ていますが、茂太郎は恥かしいという色も見せず、さりとて手柄顔もしないで、しきりに踊っています。
 囃子連の喜びは、喩《たと》うるに物なく、囃子にいよいよ油が乗ってくると、踊りもいよいよ妙に入るかと思われる。最初は囃子が人を踊らせたのに、今は踊りが囃子を引立てるらしい。
 興に乗じた船の人は、知るも知らざるも興を催して、手拍子を打ち、あわや自分たちも一緒になって踊り出しそうな陽気になる。
 初めは人が興味を求め、後には興味が人を左右する。
 清澄の茂太郎こそは小金ヶ原での群衆心理を忘れはしまい。
 興味が人を左右して、自分たちはそれを逃るるに、命がけを以てしなければならなかった苦《にが》い経験を忘れはしまい。
 それを忘れない限り、この踊りもいいかげんで切上げることを忘れはしまい。
 古人は、明哲《めいてつ》身を保つということを教える。
 果然! がらりと拍子をかえた茂太郎は、身を翻すと脱兎の如く船底をめがけて駆け込んでしまいました。
 興|酣《たけな》わにして踊り手に逃げられた船の客は呆気《あっけ》に取られ、囃子連も張合いが抜けたが、しかし船中の陽気は衰えたというではなく、人々はみんないい心持で酔わされたような気分です。

         二十二

 仏頂寺弥助と、丸山勇仙と、宇津木兵馬とが、相携えて松本の城下へ乗込んだ時、松本の城下は素敵な景気でありました。
 尋ねてみると今日から三日間の「塩市《しおいち》」だということ。なお「塩市」とは何だと尋ねてみると、これにはまた一つの歴史的の由緒《ゆいしょ》がある。
 甲斐《かい》の武田信玄と、越後の上杉謙信とが、この信濃の国で争っていた時分、信玄の背後をうかがう東海道筋から塩を送らない。甲斐も、信濃も、海の無い国。人民これがために苦しむの時、前面の敵、上杉謙信がこれを聞いて、武田に使を送って曰《いわ》く、吾と君と争うところのものは武勇にあって、米塩にあらず、南人もし塩を送らざれば北塩を以て君に供せん――といって価《あたい》を平らかにして信玄の国へ塩を売らしめたというのは、史上有名なる逸話であります。
 信濃の人、その時の謙信の徳を記念せんがために、この「塩市」があるのだという。
 事実は果してどうか知らん。例年は正月の十一日は大法会《だいほうえ》があるはずなのが、去年は諒闇《りょうあん》のことがあったり、天下多事の際、遠慮してこの秋まで延ばされたものらしい。
 そこで、いつものように花やかには執り行われないが、人気というものはかえって、こんな際に鬱屈《うっくつ》するものだから、底景気はなかなか盛んであるらしい。
 その盛んな市中を通り抜けて、浅間の温泉へ行き、兵馬を鷹の湯へ預けておいて、仏頂寺と丸山は城下へ引返し、二人は市中の景気を見ながら、各道場へ当りをつけ、兵馬は温泉場に止まって、その内部を探ろうという手筈《てはず》。
 宿に残された兵馬は、その晩、按摩を呼ぶことを頼みました。
 按摩を取るほどに疲れてもいないけれど、土地の内状を知るには、按摩を呼ぶが近道と思ったのでしょう。
 ほどなく、按摩が来るには来たが、それは眼の見えない男按摩ではなく、目の見える、しかも十四五になる少女でしたから、兵馬も意外の思いをしたが、それに肩を打たせて、さて徐《おもむ》ろにこの温泉場の内状、城下の景気、近頃の泊り客は如何《いかん》というようなことから持ちかけてみると、小娘の按摩は存外ハキハキした返答ぶり。
 特に「塩市」の賑《にぎ》わい隣国に並びなきことと、町の催し、諸国から集まる見世物、放下師《ほうかし》の類《たぐい》、その辺についての説明は委《くわ》しいもの。
 一段と念を入れていうことには、
「今年はちょうど、お江戸で名高い市川海老蔵さんという千両役者が参りました。昨日から宮村座で蓋《ふた》をあけましたから、ぜひ一度ごらんになっておいでなさいまし」
と勧める。そのことならば、仏頂寺、丸山の輩《やから》でさえも噂をしていた。だが、兵馬にとっては芝居どころではない。聞き流しているのを、小娘はいい気になって、海老蔵の偉いこと、千両役者の貫禄の大したものであること、この土地へも千両役者は滅多に来ないということ、果ては、わたしはまだ千両役者というのを一度も見たことがないと、聞かれもしないのに自白するところなどは、抜け目がなく、うっかり口車に乗ろうものなら、たちまち芝居を奢《おご》らせられる段取りになるかも知れない。
 ところで、兵馬は、千両役者にも、芝居に
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