から入るの……あなたに抱いていただいて、ここから入るの」
「ききわけがない、ここからは入れません」
「お怒りなすったの、あなた、悪かったら御免下さいね。ですけれども、あたし、そっとここから入れていただきたいの、そうして誰も気のつかないうち、あなたとだけ、お話ししていたいの」
「言うことが聞かれないなら勝手になさい、中からこの戸を締めてしまいますよ」
「その戸をお締めになれば、あたしのこの指が切れちゃうでしょう。それでもいいの?」
狂女はわざと自分の手を伸して、ガラス戸の合間に差し込んでしまいました。
「あたし、あなたに正直なことを申し上げてしまうわ、それで嫌われたらそれまでよ」
「手をお放しなさい」
「あたし、今までに七人の男を知っていますのよ」
「何をいうのです」
「あたし、これでも、もう七人の男を知っているのよ。それを言ってみましょうか。一人はあるお寺の坊さんなの、一人は家へ置いた男、それから……」
「お黙りなさい」
駒井は情けない色を現わして、上から抑えるように女の言葉を遮《さえぎ》りました。正気でない悲しさ。言うべからざることを口走り、聞くべからざることを聞くには堪えない。それを女は恥かしいとも思わず、
「けれど、それはみんな、あたしの方から惚《ほ》れたのじゃなくってよ、早くいえば、あたしがだまされたんですね、それから自棄《やけ》になって、とうとう七人の男にみんなだまされて、玩弄《おもちゃ》になってしまいました」
「ああ……」
外から押えても、中なるねじの利《き》いていないものにはその効がない。駒井はこの場の始末にホトホト困っているのを、女は少しも頓着なしに、
「その七人の名を、みんなあなたに打明けたら、あなたも吃驚《びっくり》なさるでしょう、その人たちの恥にもなりますから、あたしは言いません……それも本来は、わたしが悪いんでしょう、茂太郎を可愛がり過ぎたから、茂太郎がいやがって逃げてしまい、その時からわたしは自葉《やけ》になりましたの。あなた、突き落しちゃいやよ」
女は敷居に武者振りついて、あられもない高島田の美人は、どうしてもここから乱入するつもりらしい。
折よくそこへ金椎《キンツイ》がお茶を運んで来たものですから、駒井は金椎にいいつけて、狂女を表の方へ廻らせました。しかし、正式に案内されてこの室へ通された狂女は、今まで言ったことも、したことも
前へ
次へ
全176ページ中49ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング