に向っては、厳粛な眼を据《す》えておりました。
 女興行師のお角の残して行ったものは、田山白雲にとっては由々《ゆゆ》しき謎でありました。しかも本人が、謎とも、問題ともせずして、投げつけて行ったところが奇妙です。
 これがために、田山白雲がさんざんに苦しめられているところは、笑止の至りであります。
 顧※[#「りっしんべん+豈」、第3水準1−84−59]之《こがいし》であろうとも、呉道玄《ごどうげん》であろうとも、噛んで歯の立たないという限りはないが、こればかりは、つまり、知識の鍵が全く失われているから、見当のつけようがないのです。
 そこで、一旦、白雲は戸外へ出てみました。古本屋|漁《あさ》りをして、もしや、それらしい横文字を書いた書物でも見つかったら――と何のよりどころもない果敢《はか》ない心頼みで、暫く街頭を散歩してみましたけれど、如何《いかん》せん、その時代の書店の店頭に、西洋美術の梗概《こうがい》をだも記した書物があろうはずがありません。
 よし、まぐれ当りに、蕃書取調所《ばんしょとりしらべしょ》あたりの払い下げの洋書類の中にそんなのがあったとしても、不幸にして田山白雲にはそれを読む力がありません――せめてあの駒井甚三郎氏でも近いところにいたならば、自分が東洋画に就《つ》いての意見を吹込んだ人に向って、逆に西洋画の見当を問うのは、いささか気恥かしいようでもあるが、尋ねてみれば相当の当りがつくかも知れないが、今のところでは、皆目《かいもく》、暗夜に燈火《ともしび》なきの有様で、いよいよ白雲の不満と歯痒《はがゆ》さとを深くするに過ぎません。そこで、街頭から空しく立戻って、再びかの油でない方の画面を篤《とく》と見入りました。
 知識は必ずしも芸術を生ませないが、知識なくしては芸術の理解が妨げられ、或いは全く不可能になるということを、白雲はここで、つくづくと思い知らされたようです。
「おれは、これから外国語をやらなくちゃならない、オランダでも、イギリスでもかまわない、どこか一カ国の西洋の文字を覚え込んでおかないことには……」
 白雲は暫く考えていたが、二度目に街頭へ出かけて行った時には、一抱えの書物を買い込んで来ました。見れば、それがみんな幼稚な語学の独《ひと》り案内のようなものであります。明日といわずに、白雲はその場でアルファベットの独修を始めてしまいました。
 
前へ 次へ
全176ページ中34ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング