うのは、あながち奇を好む素人考えとのみはいわれない。ただに浅草観音の納額として見るにとどまらず、この絵をとって、現代のあらゆる流派の展覧の中へ置いて見たら、どんな感じがするだろう、と白雲はそれを考えました。
 そうして、次にその一枚を取除くと、従って現われた第二枚。
「うーむ」
 それを白雲は、またも長く唸《うな》って眺め入り、
「どうも、わからない、珍しい見物《みもの》だ」
と繰返して呟《つぶや》きました。
 いよいよわからなくなりました。これは以前の油絵とは違っているが、たしかに一種の絵具で描いてあります。そうして画風も全く変っており、時代も、それよりはずっと古いのみならず、絵の輪廓[#「輪廓」はママ]の要部が線で描いてあることが、白雲を驚かせました。
 西洋画の驚異は色と形である、東洋画の偉大は線と点とである、というように信じきっていた白雲の眼には、この線と色とを調合した異風の絵に会して、わからなくなったのも無理はありません。時代でいえば十四世紀から十五世紀頃の物でしょうが、それすら白雲にはわからない。
 その翌日から田山白雲は、右の一間に納まって、二つの洋画の額面をかたみがわりに睨《にら》めておりました。
 お角が、お梅と、男衆とを連れて、熱海へ旅立ったのは間もないことです。
 留守中の万事は抜かりなく整えておいて、別に若干の金を白雲のために供《そな》えて立ちましたが、その後で封を切って見ると、五十両あったので、さすがの白雲も、この女の気前のよいことに、ちょっと度胆を抜かれた形であります。そこで、その金は、そっくり故郷の足利にいる妻子に送り届けることにしておいて、またも例の額面と睨めっこです。
 油でない方の一方の額が、どう睨めてもわからない。時代がわからない。描き手がわからない。描かれている人物がわからない。ただわかるのは、線と色との調和と、それから描かれた人物の陰深にして凄惨《せいさん》な表情。そうして見ているうちに、温和があり、威厳がある半面の相。
 知られる限りの道釈のうちにも、英雄の間にも、この像に当嵌《あてはま》るべき人物を見出すことができない。世間には、わかってもわからなくても、どうでもいい事がある。ぜひともわかりたいことがある。どうしてもわからせねばならぬ事もある。すべてに於て極めて無頓着な田山白雲。時としては飢えに迫る妻子をすら忘れてしまう
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