もらうことができました。
壮大なる松本城天守閣上のパノラマ。あいにく、この日は曇天で、後ろのいわゆる日本アルプスの連峰は見えず、ただ有明山のみが背のびをしているように見えます。
道庵は酔眼朦朧《すいがんもうろう》として眺める。米友は眼をみはって高い石垣の下の濠《ほり》を見下ろす。城を下って城を見上げて、説明を聞くと、加藤清正も熊本城を築く前に来って、この城を見学して帰ったという。天守閣の棟が西に傾いているのは、義民多田嘉助が睨《にら》んだからだという。
道庵は、そこで、どうした風の吹廻しか七言絶句《しちごんぜっく》を三つばかり作って、同行の有志家たちに見せました。
それは、いよいよ米友を驚嘆させて、おいらの先生は、あんな四角な文字まで並べられると、非常に肩身の広い思いをさせ、また同行の有志家たちも、即席に漢詩を作る道庵の技倆に感心をしたらしいが、詩そのものは道庵の名誉のためにここに掲げない方がよろしいと思う。道庵自身も、その辺は御承知のことと見えて申しわけたらたら、
「曲亭馬琴様は、あれほどの作者だが、悪い病には漢文を作りたがってな。漢文さえ作らなきゃあ馬琴様もいい男だが……人は得て不得意なものほど自慢をしたがるやつで……」
といって紙に書いて見せました。
道庵の詩作に感心した有志家たちは、
「先生は武芸の方もおやりになるそうで……当地にはこれこれの道場もございますが、御案内を致しましょうか」
と来た時に、さすがの道庵がオイソレとは言わないで、苦笑《にがわら》いをしました。
見も知らないところで、玄関から物々しく、武者修行の案内を求めてこそ、芝居もほんものになるが、身許《みもと》をすっかり知られてしまってからでは、気が抜けてしまって芝居にならない。そこで道庵もそれはいいかげんにごまかして、今日はこれからぜひ、浅間の湯へ行かなければならぬといって、なお松原の家でもぜひ、もう一晩というところを辞退して、浅間の湯へも案内しようというのを振り切って、二人はまた水入らずで松本の町を放浪しました。
こうして急に息を吹き返したところを見ると、道庵も有志家連との交際を、かなり窮屈に感じてはいたらしい。
そこで、歓迎から解放されて、自由な気持になり、今晩は浅間の湯へ泊って、ゆっくり休息をして、明朝は早立ちということになれば何のことはないのだが――町を通りながら、例の「
前へ
次へ
全176ページ中144ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング