有名なる逸話であります。
 信濃の人、その時の謙信の徳を記念せんがために、この「塩市」があるのだという。
 事実は果してどうか知らん。例年は正月の十一日は大法会《だいほうえ》があるはずなのが、去年は諒闇《りょうあん》のことがあったり、天下多事の際、遠慮してこの秋まで延ばされたものらしい。
 そこで、いつものように花やかには執り行われないが、人気というものはかえって、こんな際に鬱屈《うっくつ》するものだから、底景気はなかなか盛んであるらしい。
 その盛んな市中を通り抜けて、浅間の温泉へ行き、兵馬を鷹の湯へ預けておいて、仏頂寺と丸山は城下へ引返し、二人は市中の景気を見ながら、各道場へ当りをつけ、兵馬は温泉場に止まって、その内部を探ろうという手筈《てはず》。
 宿に残された兵馬は、その晩、按摩を呼ぶことを頼みました。
 按摩を取るほどに疲れてもいないけれど、土地の内状を知るには、按摩を呼ぶが近道と思ったのでしょう。
 ほどなく、按摩が来るには来たが、それは眼の見えない男按摩ではなく、目の見える、しかも十四五になる少女でしたから、兵馬も意外の思いをしたが、それに肩を打たせて、さて徐《おもむ》ろにこの温泉場の内状、城下の景気、近頃の泊り客は如何《いかん》というようなことから持ちかけてみると、小娘の按摩は存外ハキハキした返答ぶり。
 特に「塩市」の賑《にぎ》わい隣国に並びなきことと、町の催し、諸国から集まる見世物、放下師《ほうかし》の類《たぐい》、その辺についての説明は委《くわ》しいもの。
 一段と念を入れていうことには、
「今年はちょうど、お江戸で名高い市川海老蔵さんという千両役者が参りました。昨日から宮村座で蓋《ふた》をあけましたから、ぜひ一度ごらんになっておいでなさいまし」
と勧める。そのことならば、仏頂寺、丸山の輩《やから》でさえも噂をしていた。だが、兵馬にとっては芝居どころではない。聞き流しているのを、小娘はいい気になって、海老蔵の偉いこと、千両役者の貫禄の大したものであること、この土地へも千両役者は滅多に来ないということ、果ては、わたしはまだ千両役者というのを一度も見たことがないと、聞かれもしないのに自白するところなどは、抜け目がなく、うっかり口車に乗ろうものなら、たちまち芝居を奢《おご》らせられる段取りになるかも知れない。
 ところで、兵馬は、千両役者にも、芝居に
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