無論、たれひとり出て来ようとするものもない。
時に重し[#「重し」に傍点]をかけられた道庵が、有らん限りの声を出して叫びました、
「べらぼう様……おれを亀の子にしやがったな、よくも道庵に重し[#「重し」に傍点]をかけて亀の子にしやがったな、手も出さず、頭も出さず、尾も出さず、身を縮めたる亀は万年……と歌にあるのを、それではいけねえから手も出しつ、頭も出しつ、尾も出しつ、身を伸ばしたる亀は万年……とよみ直した奴がある、おれをどうしようというんだ、伸ばしたらいいのか、縮んだらいいのか……ア痛、ア痛……」
道庵は有らん限りの声でこういいながら、有らん限りの力ではねおきようとしたが、この時の力では、十四五貫の重し[#「重し」に傍点]をはね返す力がありません。
「ア、痛ッ」
刎起《はねお》きようとすると、いよいよメリ込むばかりです。
「ア、痛ッ、骨が砕ける……重てえ、卸《おろ》せ、卸せ」
と苦しがって叫びました。
「ザマあ見やがれ」
裸松は鉢巻をしめ直しながら、道庵の上へ載せた重し[#「重し」に傍点]の石へ片足を載せました。この足に力を入れれば道庵がギュウとつぶれる。
「米友……友様あ……」
ここで初めて道庵が、助けの声をあげました。
四
時なるかな、宇治山田の米友は、峠の町から軽井沢の桝形《ますがた》の茶屋まで、真一文字に飛んで参りました。
「先生はどうした、おいらの道庵先生がこっちへ見えなかったかい……」
ここに桝形の茶屋というのは、軽井沢の駅の上下の外《はず》れの両端に、桝形に石を築いた木戸があって、そこに数軒の茶屋が並んでいる。追分節の歌の文句の一つにも、
[#ここから2字下げ]
送りましょかい
送られましょか
せめて桝形の茶屋までも
[#ここで字下げ終わり]
とあるのがそれです。
「え、先生、あのお医者さんの、あなたがそのお連れさんでしたか。これはどうも、今お迎えに出かけましたところで……それでお気の毒ですが、時の災難と思召《おぼしめ》して下さいまし、まことにハヤ、なんとも……」
木戸番と、宿から迎えに出た男衆とが、米友を見かけて、まずお見舞と、申しわけをするような口ぶりが、どうも合点《がてん》がゆきません。
「時の災難だって……?」
「まことにどうも……」
「おいらの先生は来たか、来ねえか、それを聞いてるんだぜ」
「それが、ど
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