を履《は》いている道庵と米友。ことに米友は草鞋がけ[#「がけ」に傍点]が渡し場の水でしめって少し堅いから、足へはめるのに多少の苦心を費していると、その頭を上から撫でて通るものがある。
 米友、ひょいと振仰いで見ると、ただいま自分の頭を撫でて通ったのは、気品の高い一人の若い尼さんで、その周囲には数人の従者、相当年配の尼さんがついている。
 人を撫でた[#「人を撫でた」に傍点]真似《まね》をする尼さんだな、と思いながら米友が見送っていると、外陣から廊下階段へ溢《あふ》れ出た善男善女が、その尼さんのお通り筋に並んで、一様に頭を下げてかしこまる。
 若い尼さんは、その跪《ひざまず》いて頭を下げている無数の善男善女を、いちいちその手に持てる水晶の珠数《じゅず》で撫でて行く。おれを撫でたのもあの珠数だな、と米友が思いました。
 米友は、けげんな顔をしてそれを見送っているのに、善男善女は、仰ぎ見ることさえしないで、その尼さんに通りながら撫でられる時、一心に念仏の声を揚げるものもある。この尼さんの一行の過ぐるところ、荒野の中を鎌が行くように、人がはたはたと折れて跪く。跪いて、その珠数を頭に受けることを無上の光栄とし、その法衣の袖に触るることさえが、勿体《もったい》なさの極みとしているらしい。
 何のことだか米友にはよくわからない。ただその通り過ぐるあとで、
「尼宮様」
「尼宮様」
という囁《ささや》きが聞える。
 そこで、道庵と、米友とは、善光寺本堂を立ち出でる。
 通例の客は、まず宿を取ってから後に本堂に参詣するのが順序なのに、道庵と米友は、参籠《さんろう》を済ましてから宿の選択にかかる。
 朝まだき、それでも外へ出て見ると、善光寺平野が一時に開けて、天地が明るく、朝風が身にしみて、急に風物が展開したように思われる。
 明るいところへ出ると、暗いところが疑問になる。あのお階段めぐりなるもの、何の必要があってかわざわざ暗いところへ下りて、人と人とが探り合いながら暗いところを歩くのだ。
 道庵が米友の不審に答えて、あれは有名な善光寺のお階段めぐりといって、ああして暗いところを歩いているうちに、心の正しからぬものは犬になるという言い伝えがあるのだが、われわれもまんざら心が曲ってばかりはいないと見えて、犬にもならずに出て来たという。
 しかし、お前は途中、あの鍵へはさわることを忘れたろう
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