》と打って、吾ながらその妙案に感心しました。
 道庵に左様な謀叛が兆《きざ》したとは知らぬ米友、恥かしそうに、そのあとにくっついて、城下の巴屋六右衛門というのに泊る。
 しかしながら、その翌日は相変らずの道庵は道庵、米友は米友。
 二人ともに別段、武芸者としての改まった身姿《みなり》にもならないのは、道庵のせっかくの謀叛に、米友が不同意を唱えたわけではなく、小諸の城下を当ってみたけれども、変装用の思わしい古着が見つからなかったものらしい。
 道庵は「鍼灸術原理《しんきゅうじゅつげんり》」という古本を一冊買って、小諸の宿《しゅく》を立ちました。
 小諸から田中へ二里半。田中より海野《うんの》へ二里。海野より上田へ二里。上田より坂木へ三里六町。坂木より丹波島《たばじま》へ一里。
 丹波島から善光寺までは、もう一里十二町というホンの一息のところまで来て、犀川《さいがわ》の河原。
 この河原へ来た時に月があがったので道庵先生が、すっかりいい心持になって、渡しを渡らずに河原へ出てしまい、明日はいやでも善光寺。今晩はここで、思う存分月見をしようといい出しました。
 信州名代の川中島。月はよし、風はなし、前途の心配はなし。米友を促して、渡し場から莚《むしろ》を借り、それを河原の真中に敷いて、一瓢《いっぴょう》を中央に据え、荷物を左右に並べて、東山《とうざん》のほとりより登り、斗牛《とぎゅう》の間《かん》を徘徊《はいかい》しようとする月に向って道庵は杯をあげ、そうして意気昂然として、川中島の由来記を語って米友に聞かせました。
 米友も、信玄と謙信とには、相当の予備知識を持っている。ことに道庵が甲陽軍鑑を楯《たて》にとって、滔々《とうとう》とやり出す川中島の合戦記には、米友も知らず識らず釣込まれ、感心して聞いているものだから、道庵も、いよいよいい気になって、喋《しゃべ》るだけ喋ると、喋り疲れて、瓢箪《ひょうたん》を枕にゴロリと横になって、早くも鼾《いびき》の声です。
 夜もすがら川中島の月を見て、明日は善光寺という約束だから、米友もぜひなく、旅の合羽《かっぱ》を開いて道庵の上に打着せ、自分は所在なさに槍を抱えて河原の中へ、そぞろ歩きを始めたものです。
 犀川の岸を、そぞろ心に米友が歩むと、行手に朦朧《もうろう》として黒い物影。吾行けば彼も行き、吾|止《とど》まれば彼も止まる。米友は夢
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