、お気に召さなければそれまでといいながら、またそのお金を、何ともいえないいやな手つきで蔵《しま》いにかかるところなんぞは、男ならハリ倒してやりたいくらいなものでした」
「ふふん」
と神尾主膳が嘲笑《あざわら》い、
「それほど、いやな手つきを、眺めているがものはないじゃないか」
「だって、あなた、手出しはできませんもの」
「手出しができなければ、引込んでいるよりほかはない」
「なんとでもおっしゃい、引込んでいられるくらいなら、こんな苦労はしやしませんよ」
「ふーむ」
「あなたは、お坊っちゃんね、そうして、のほほんで字なんか書いていらっしゃるけれど、わたしの身にもなってごらんなさい、火の車の廻しつづけよ」
「ふーむ」
「今、外へ出ようったって、箪笥《たんす》はもう空《から》っぽよ」
「ふーむ」
「わたしも、この通り着たっきりなのよ、芝居どころじゃない、明るい日では、外へ用足しに出る着替もなくなってしまってるじゃありませんか。これから先、どうしましょう」
「なるほど」
「なるほどじゃありません、何とか心配をして下さいましな、わたしの酔興ばかしじゃありませんよ、一つは、あなたを世に出して上げたいから」
「それはわかっている。そこでひとつ、俺も足立とも相談をして、何とか動きをつけようとたくらんでいるところだ」
「そんな緩慢なことをおっしゃっている時節ではござんすまい、現在、眼の前にあの通り、金銀の山が転がり込んでいるじゃありませんか、あれをどうにもできないで、指を啣《くわ》えて見ているなんてあんまりな……」
「いけない、ああいうのはいけない、度胸を据《す》えてかかっている仕事には、武田信玄でも手が出せない」
「ホントに焦《じれ》ったい」
酔わない時は、神尾にもどこか鷹揚《おうよう》なところがある。お絹はそれを焦ったがっている。
「ねえ、あなた、今日は七兵衛の奴が珍しくどこかへ出かけてしまいました、その後に鎧櫃《よろいびつ》が置きっ放しにしてありますから、見るだけでも見て下さい」
「鎧櫃がどうしたの」
「その鎧櫃の中に、見せびらかしの金銀がいっぱい詰め込んでありますのを、置きっ放して七兵衛の奴が、珍しく早朝からどこかへ行きましたから、見るだけ見ておやり下さいと申し上げているのです」
「見たって仕方がないじゃないか、金銀は見るものではなくて使うものだ、使えない金銀は、見たって仕
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