しはございませぬ……十善の戒行《かいぎょう》を修《しゅ》した報いが、今生において天子の位に登ると平家物語から教えられました、『十善天子の御果報申すもなかなかおろかなり』と平家|御入水《ごじゅすい》の巻にございます。帝王の御身ですら、御定業《ごじょうごう》をのがれさせ給わず、ましていわんや……この小智薄根のわたくし……いかなる前生の罪か、この通り不具の身として、人間界に置かれましたわたくし……」
と言って、弁信法師は嗚咽《おえつ》して泣きました。涙がハラハラと雨のように落ちます。たまらなくなったと見えて、杖の上に置いた手の甲に顔をうずめて泣きましたが、
「ねえ茂ちゃん、お前がよく歌った、あの九つや、ここで逢わなきゃどこで逢う、極楽浄土の真中で……という歌が、わたしの耳に残って、今ぞ胸の蓮華《れんげ》の開くように沁《し》み渡ります」



底本:「大菩薩峠8」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年3月21日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 五」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年1月9日作成
2006年5月19日修正
青空文庫作成ファイル:
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