いているのだなとさえ思いましたが、道庵のすることをいちいち干渉していた日には、際限がありませんから、別にその理由もたずねませんでした。
そうして浦和の宿《しゅく》――江戸より五里三十町、京へ百二十九里二十八町というところへついて、そこで今晩は泊ることになる。
ここにはあまり、よい宿屋がありませんでした。泊り客を見かけては道庵がいちいち、途中で手折《たお》って来た槐《えんじゅ》のような木の枝を渡していうことには、
「これは苦参《くじん》といって蚤《のみ》よけのおまじないになる。見かけたところ、この宿屋には蚤がいるにちげえねえ、これを蒲団《ふとん》のしたにしいてお寝」
おかげさまで、その晩は蚤に食われなかったお礼をいうものがありました。そこで米友には、道庵の道草の理由がわかり、
「先生のすることにソツ[#「ソツ」に傍点]はねえ」
といまさらのように、感心をしてしまいました。
浦和から大宮、武蔵の国の一の宮、氷川大明神《ひかわだいみょうじん》へ参詣して、またまた米友をおどろかせたのは、道庵先生が見かけによらず敬神家で、いとねんごろに参拝祈願する体《てい》を見て驚嘆しました。この先生、
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