付いていて、大空を勝手に行くことの自由をゆるされないのが人生である。あの男もどこかで行詰まるのではないか。あの男の蔭に、泣いて帰りを待つ妻子眷族《さいしけんぞく》というものもあるのではないか。
 さりとて、人間は天性、漂泊を好む動物に似ている。
 自由を好んで不自由の中に生活し、漂浪を愛して、一定の住居にとどまらなければならない人間。それでもその先祖はみな旅から旅を漂泊して歩いたものだから、時としてその本能が出て来て、人をして先祖の漂浪にあこがれしめるのではないか。物慾の中に血を沸かして生きている人々が、どうかすると西行や芭蕉のあとに、かぎりなき憧憬《どうけい》を起すのは、ふるさとを恋うるの心ではないか。
 左様なことを駒井は考えました。
 船はその夜、保田の港へ泊ることになったものですから、駒井も船の中に寝ることにきめました。この時分には、もう大抵の乗客は上陸してしまって、船は駒井だけのために館山へ廻航するの有様で、船のしたには駒井の携えてきた書物をはじめ、手荷物の類がかなり積み込まれているから、駒井も、ここでちょっと[#「ちょっと」に傍点]船とはわかれられないようになっているのです
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