《たて》を流れているキリストの教えを教えられ、今はまた、ここで自分が絵画とか美術とかいうものに対する知識と理解の、極めて薄いことを覚《さと》らせられました。
学ぶべきものは海の如く、山の如く、前途に横たわっている――という感じを、駒井甚三郎はこの時も深く銘《きざ》みつけられました。
船が保田に着く。田山白雲は、一肩《いっけん》の画嚢《がのう》をひっさげて、ゆらりと船から桟橋へ飛び移りました。
「さようなら、近いうち必ず洲崎の御住所をお訪ね致しますよ」
笠を傾けて、船と人とは別れました。まだ船にとどまって、館山《たてやま》まで行かねばならぬ駒井甚三郎は、保田の浜辺を悠々《ゆうゆう》と歩み行く田山白雲の姿を見て、一種奇異の感に堪えられませんでした。
八
その名のような白雲に似た旅の絵師を、駒井甚三郎は奇なりとして飽かず見送っておりました。
ほどなく松の木のあるところから姿を隠してしまった後も、髣髴《ほうふつ》として眼にあるように思います。
しかしながら、人の生涯は、大空にかかる白雲のように、切り離してしまえるものでないと思いました。人情の糸が、必ずどこかに
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