とわかる。到るところの社会で、血のりを自慢の刀をよく見せられていたものだから――
ところで、寺院には似げもない長物《ながもの》を、思いもかけぬ人の手で見せられて、鞘《さや》を払って見るといっそう驚目《きょうもく》に価するのは、その刀が最近において、まさしく人を斬った覚えのある刀に相違ないと見たからです。
十分に拭いはかけたつもりだけれども、拭いが足りない。
そこで兵馬は、まずこの刀の作者年代が、誰で、いつごろ、ということは念頭にのぼらないで、
「これは寺の刀ですか、それとも誰か持って来たのですか?」
「この床の間にあったのです」
「それでは、寺の物ですな」
「そうかも知れません」
兵馬の疑点が一歩ずつ深く進んで行きました。身に寸鉄を帯びざることは、智識の誇りではあるにしても、寺に刀があって悪いという掟《おきて》はない。ただ不審なのは、近き既往においてこの刀が、まさしく血の味を知っていたとのことです。この寺の住持は老齢の身で、盗まれたものさえ、訴えては出ないほどの仁者である。それが、この刀を振り廻そうはずがない。それでは弁信か、茂太郎か。どちらにしても、想像の持って行き場がないで
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