いものでもないという恐怖に、一時はとらわれましたが、恐怖の対象としては、星の光は、あまりに美しくて、懐かしいので、久しからずして、その怖れから解放されて、驚異のみが加わってゆくのです。
 清澄山や日本寺あたりの空は広く、気は澄んでいて、天候の観察には便利でありましたが、このハイランドは、それに比べると壺中《こちゅう》の天地のようなものでしたから、一時は迷いましたけれど、今ではすっかりお馴染《なじみ》になって、
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天には星の数
地にはガンガの砂の数
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を歌い出すと、おのおのの星が舞い出して、茂太郎の周囲に降りてくるようです。
 色の最も赤い、運動の最もはやい、マースの星が、茂太郎の愛するところの一つでありました。
 茂太郎の天文学は、科学に基礎を置いていないように、迷信にも囚《とら》われておりませんから、西洋ではローマ以来、戦《いくさ》の神と立てられているこの星、東洋ではその現わるるのは戦の前兆として怖れられたこの星も、茂太郎には、ただその色が美しく、そして舞いぶりがことにいさましいのをよろこばすだけのものです。
 すべて、物は、純な心を以て
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