ぶん、池田といった神楽師の一行では長老株――武州の高尾山では、七兵衛と泊り合わせた中の一人によく似ている。
 しかし、かの白面にして豪胆なる貴公子はここにはいません。
 時ならぬ時に、神楽師の一行が、つれづれな温泉宿に舞い込んだという噂《うわさ》を聞いて、浮気者の後家婆さんはいたく喜んで、早速、明朝になったら、ひとつやらせて楽しみましょう……と、お湯の中でお雪に話しました。この婆さんの考えでは、多分、越後の国の角兵衛獅子が、国への戻りに舞い込んだものとでも思ったのでしょう。翌日は早速、人を以てかけ合ってみますと、例の一座の長老が、それを聞いて、ニッコリ笑いながらこう言いました、
「われわれどもは角兵衛獅子ではございません、神楽師であります。古《いにし》えの神楽は神を楽しませ、同時に人を楽しましめんがために行いました。近代の芸術は、神を離れて人間が楽しまんがために作られます。これは悪いことではありません、人が楽しみを求めるのは自然です、自然にその慾求が起れば、これを与えるものの起るのも自然であります。よき慰安を与えらるる時に、人間の気象が快闊になり、高尚になるのも道理であります。そこにわ
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