にはただいま、何人の人がいますか」
「都合五百人には過ぎませぬ」
「しからば、そのうち三百人を、わしに貸してたもらぬか」
豪傑が沈黙してしまいました。かねて高村卿は豁達《かったつ》なお方とは聞いていたが、なるほどその通りだと思ったのでしょう。それと同時に実際、公卿《くげ》さんの中にも豪《えら》い気象の人がいると、舌を捲いたのかも知れません。
十津川《とつがわ》の時の中山卿、朔平門外《さくへいもんがい》で暗殺された姉小路卿、洛北《らくほく》の岩倉卿、それらは慥《たしか》に公卿さんには珍しい豪胆な人に違いないが、この高村卿の突拍子には格別驚かされる。
もし、かりにここから三百名の浪士を借り受けたところで、それに伴う兵器食糧はどうするつもりだろう。もしまた仮りに、飛騨《ひだ》の国を乗っ取ってみたところで、それを守る者、或いは後詰《ごづめ》の頼みはどうなるのか、その辺の計画は一向にないらしい。ないところが、またこの人たちの無性《むしょう》に愛すべきところかも知れない。
豪傑連は、この豪胆な貴公子の意気を喜びましたけれども、その豪胆通りに実際が行われるものでないことを、懇々と説諭しなければならぬ役まわりになりました。
豪傑連の説諭を聞き終った高村卿は、
「それでは要するに、飛騨の国を取ることに助力ができないというのじゃな。それは意見の相違でぜひもないが、そちたち、勤王《きんのう》を名として、私藩の手先をつとむるような振舞があってはならぬぞ、幕府を倒して、第二の幕府を作るようなことになっては相済まぬぞ」
といってのけ、彼等がなおも弁明をしようとするのを聞かず、意見の合わぬところに助力の望みなし、助力の望みなきところに長居するの必要なし、直ちに帰るといい出しました。
帰るといい出した英気風発の貴公子は、誰が留めても留まりそうもない。
十数人のお神楽師《かぐらし》を差図して、荷物をまとめさせたが、ふと膝を打って、
「せっかくのみやげに羅陵王《らりょうおう》を舞うて見せようか、皆々おどれ」
と言い出でました。
そこで、いったん、包みかけた荷物はほどいて、これらのお神楽師が薩摩屋敷の大広間で、腕をすぐって踊るから、志のあるほどのものは、小者《こもの》端女《はしため》に至るまで、来って見よとのことであります。特に舞台は設けないが、隔てを取払って、縁に居溢《いあふ》れた時は
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