というまもなく、賭場《とば》を根柢から覆《くつが》えしてしまいました。
さしもの遊民どもが手出しができないのみならず、あいた口がふさが[#「ふさが」に傍点]らないのは、その荒《あ》れっぷりの乱暴と迅速とのみならず、六尺豊かの髯面《ひげづら》の大男の、威勢そのものに呑まれてしまったからです。
といってこの六尺豊かの髯面の大男、そのものの人体《にんてい》がまた甚だ疑問で、相手を向うに廻して荒れていなければ、これが無頼漢《ぶらいかん》の仲間の兄貴株であろうと見るに相違ない。そうでなければ、船頭仲間の持余し者と見たであろう。しかし、よく見ると、無頼漢でもなければ、船頭仲間の持余し者でもない、れっき[#「れっき」に傍点]としたこの乗合船のお客様の一人で、身なりこそ無頼漢まがいの粗野な風采をしているが、寝ていたところをよくごらんなさい、両刀が置きっぱなしにしてあるのです。しかもその長い方の刀は、人の目をおどろかすほどすぐれて長いものです。
それですから、さしもの遊民どもも、一層おそれをなしました。
「人の安眠を妨害する奴等、船底へ引込んで神妙にしとれ[#「しとれ」に傍点]」
中盆と壺振の二人の襟首をひっぱって、船底の方へ投げ込んでしまったのは、あながち怪力というわけではない、呑まれてしまった遊民どもが、自由自在になっているのです。
そこで、さしも全権を振《ふる》っていたこの連中が、一時に閉塞《へいそく》して、ことごとく船の底へ下積みにされてしまいました。
船中の者も、この勇者を欽仰《きんこう》することは一方《ひとかた》ではありません。
その勇気といい、筋骨といい、身に帯びたすばらしい長短の刀といい、天下無敵の兵法《ひょうほう》の達者、誰が見ても疑う余地はありません。最初の口火を切った駒井甚三郎の影は、この勇者の前に隠されて、一人もそれを讃仰《さんごう》するものはないのです。
駒井もまた、この豪傑が不意に現われて、自分の解決すべき難関を、一気に解決してくれた幸運をよろこびましたから、讃仰者のないのを恨みとする理由はありません。こういう場合においては、第一声を切ることが勇者の仕事で、その出端《でばな》を利用して敵を驚かして、一気に取挫《とりひし》ぐことは、喧嘩の気合を知っているものにはむしろ容易《たやす》いことですが、駒井は閑却されて、あとから出た豪傑が人気を独占し
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