ろ、かりにも士分の列につらなっている身分のものは、自分のほかにはいないらしい。万一の場合、義において自分が、船内の平和を保つ役目を引受けなければならないのか、とそれが心がかりになりました。その時分、勝負がついたと見えて、船の上はひっくりかえるほどの騒ぎです。
こういう場合の役まわりは、宇治山田の米友ならば適任かも知れないが、駒井甚三郎ではあまりに痛々しい。
それを知らないで、調子づいた遊民どもは、全船をわが物顔に熱興している。
彼等が、熱興だけならば、まだ我慢もできるが、船中の心あるものを迷惑がらせるのみならず、その善良な分子をも、この不良戯《ふりょうぎ》のうちへ引込まずにはおかないのが危険千万です。
いわゆる良民のうちにも、下地《したじ》が好きで、意志がさのみ強くないものもあります。見ているうちに乗気になって、鋸山《のこぎりやま》へ石を仕切《しきり》に行く資本《もとで》を投げ出すものがないとはかぎらない。くろうと[#「くろうと」に傍点]の遊民どもも、実はそのわな[#「わな」に傍点]を仕掛けて待っている。
「へ、へ、へ、丁半は采《さい》コロにかぎるて、なぐささい[#「なぐささい」に傍点]、じゃあるめえな」
「じょうだんいいなさんな」
「五貫ばかり売ってもらいてえ」
罷《まか》り出でたのは乗合いの中の素人《しろうと》にしては黒っぽく、黒人《くろうと》にしては人がよすぎる五十男。
「合点《がってん》だ、さあ五貫……」
貸元が景気よくコマを売る。
「丁が余る、丁が余る……いかがです、旦那、負けときますぜ、やすめ[#「やすめ」に傍点]を一つお買いになっては……」
「へ、へ、へ」
前のよりはいっそう人のよかりそうな、純乎《じゅんこ》たる素人が、ワナを眼の前につきつけられて、まんざらでもない心持。
こうやって彼等の景気は増すばかりで、心あるものの気持は苦々《にがにが》しくなるばかりです。
暫くしている間に、最初にしたり[#「したり」に傍点]面《がお》をして出た半黒人《はんくろうと》も、まんざら[#「まんざら」に傍点]でもない心持の純素人《じゅんしろうと》も、グルグルとグループの中へ捲き込まれてしまうと、中盆《なかぼん》が得意になって、
「運賦天賦《うんぷてんぷ》のものですから、本職だって勝つときまったものではなし、ドコへ福がぶっつ[#「ぶっつ」に傍点]かるかわ
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