い」
「それでね、女の先生が来たんだとさ。女の先生だから薙刀《なぎなた》でも教えるんだろう」
「そうか知ら、薙刀はこわいや」
お松が通りかかるとも知らず、沢井の道場のこのごろの噂《うわさ》。
「薙刀は一段違いだからな」
「そうさ、薙刀は一段違いだから、油断してかかるとやられるとさ」
「明日あたり見に行こうか」
「見に行こう。だが、先生にしかられると悪いからな」
「見に行くだけならよかろう。それに、薙刀の武甲流というのは、もとは甲源一刀流から出ているのだと先生がいったよ」
「そうか知ら」
「女でも先生になるくらいだから、強いだろうな」
「そりゃ強いさ」
お松は立ちどまって、柿の木の上の子供の話を聞きながら、おかしさに堪えられませんでした。沢井の道場を開いて、剣を教えずして、文字を学ばしめているのに、それが誤り伝えられて、自分のことが薙刀の師範として子供らの噂にのぼっている。それにしてもこのあたりの子供、柿の木によじながらも武芸の話。路傍に置捨てられた剣術の道具も、この子供のそれに違いない。
話によれば、近いところの先生の許《もと》へ、剣術の稽古に行くその道草らしい。
ほどなく、枝つきの柿の実をおびただしく手折《たお》って畑道を駈けて来る二人の少年、年はいずれも十五六。
「あ――」
といってお松と顔を見合わせ、恥かしそうに以前置捨てた剣術の道具の傍へよって、その柿の枝を結《ゆわ》えつけて肩にかける。二人の少年の勇ましい後ろ姿を見るにつけ、思い起すは宇津木兵馬のこと。
武術は人に敢為《かんい》の気象を教えるが、抗争の念を助長させたくないものだ、との優しい心づくし。
二十五
根岸に引移った神尾主膳と、お絹とは、このごろ痛切に金がほしいと思っています。
誰でも大抵の人は金がほしいと思っているが、この二人にとって、それがいっそう切実なのです。
神尾主膳はある時、つくづくと思いました、
「金というやつは女とおなじことで、出来る時は逃げても追っかけてくるが、出来ないとなると、追いかけても逃げてしまう」
お絹もまた口に出して言う、
「どうかして、お金がはいる工夫はないものかしら」
実際、金というものがない以上は、都会生活の興味の大部分は失われる。こうして不景気に隠れん坊をしているくらいなら、深山《みやま》の中も、根岸の里も、変ったことはない。
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