いものでもないという恐怖に、一時はとらわれましたが、恐怖の対象としては、星の光は、あまりに美しくて、懐かしいので、久しからずして、その怖れから解放されて、驚異のみが加わってゆくのです。
清澄山や日本寺あたりの空は広く、気は澄んでいて、天候の観察には便利でありましたが、このハイランドは、それに比べると壺中《こちゅう》の天地のようなものでしたから、一時は迷いましたけれど、今ではすっかりお馴染《なじみ》になって、
[#ここから2字下げ]
天には星の数
地にはガンガの砂の数
[#ここで字下げ終わり]
を歌い出すと、おのおのの星が舞い出して、茂太郎の周囲に降りてくるようです。
色の最も赤い、運動の最もはやい、マースの星が、茂太郎の愛するところの一つでありました。
茂太郎の天文学は、科学に基礎を置いていないように、迷信にも囚《とら》われておりませんから、西洋ではローマ以来、戦《いくさ》の神と立てられているこの星、東洋ではその現わるるのは戦の前兆として怖れられたこの星も、茂太郎には、ただその色が美しく、そして舞いぶりがことにいさましいのをよろこばすだけのものです。
すべて、物は、純な心を以て見ないものに、その美しさを示すということがありません。清澄の茂太郎にとっては、天上の星の一つ一つが、充分にその美しさを旋廻して見せるのですから、見れども飽くということを知らず、ある時は星と共に大空の奥深く吸い込まれ、ある時は星が来って、わが周囲に舞いつ、おどりつしているもののように見え、
「弁信さん、星がキレイにおどっているよ、とても綺麗《きれい》……」
と呼びました。
清澄の茂太郎が、天上の星をながめている時、地上の庭では、弁信法師が虫の鳴く音に耳を傾けております。
「トテモ綺麗だよ」
茂太郎は天上の星に恍惚《うっとり》として躍動した時、地上の虫を聞いていた弁信は、
「茂ちゃん、わたしは今、虫の音を聞いているところですよ」
この返事は、塔の上はるかな茂太郎の耳には入らなかったでしょう。
「いろいろの虫が、草むらで鳴いておりますよ」
おのおのの虫は、おのおのの生を語るが如く、力いっぱいの奏楽を試みている。弁信は、今、その一つ一つが持つ生命の曲を聞きわけようとして離れられないものらしい。茂太郎は、あらんかぎりの愉悦を以て、あらんかぎりのあこがれを捧げて、星をながめているのだが、虫
前へ
次へ
全161ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング