はなかなかの大家なんですってね」
「ええ、すてき[#「すてき」に傍点]なお金持だっていう話ですよ」
「ちょっと、お見舞に上ってみようか知ら」
「え……」
 金助がお銀様のところへお見舞に行くといい出したので、お梅もいいかげんの挨拶ができなくなりました。
「お見舞に行ってまいりましょう」
「およしなさいな、お気にさわるといけませんから」
「大丈夫、お嬢様の御信任は、このごろ一《いつ》に拙者の上に集まっているんでゲスから……」
「それでも……」
「ついこの間などは、忠勤をぬきんでて、そっと申し上げてしまったものだから、もう今では一も金助、二も金助、さだめて今日もお待ちかねのことと存じます」
「金助さん、お嬢様に何を申し上げちまったの」
「イエナニ……」
「金助さん、お前、お嬢様によけいなお喋りをしやしないかエ」
「よけいなお喋りなどをするものですか。何しろお嬢様もたより[#「たより」に傍点]のないお身の上で、金助さん頼みますとおっしゃるものですから、拙《せつ》の気象で、ちょっとばっかりお力になって上げたまでのことですよ。以来お嬢様は、ことごとく拙をおたより[#「おたより」に傍点]なさるんで、お気むずかしいのなんのといいますけれど、それは嘘です。どれ、ちょっと御機嫌を伺いに行って参りましょう」
 金助が立ち上ったので、お梅はおどろいて引留めようとしたが、また思い返すことには、あんまりいけ図々しい男だから、このまま二階へやった方が面白かろうと考えました。二階に寝ているのは無論お嬢様ではない、親方のお角であります。お角と知らないでこの野郎がノコノコと出かけて行って、歯の根の浮くようなことを喋り出したが最後、イヤというほどとっちめられるに相違ない。これは素敵もない見物《みもの》だと思ったから、お梅がワザと留めないでいると、金助の野郎は妙に衣紋《えもん》をつくろい、気取ったなり[#「なり」に傍点]をして、二階へノコノコとあがって行きました。
「金助さん、お嬢様のお気にさわってもわたしは知らないよ」
 お梅の駄目を押すのを、金助は聞き流して、
「どう致しまして。お嬢様、へえ、どうも御無沙汰を致しました、先日はまた大枚《たいまい》の頂戴物を致しまして」
 洒蛙洒蛙《しゃあしゃあ》として二階へ上り込んで見ると、お銀様は縮緬の夜具を、頭からスッポリとかぶって寝ていました。
「これはこれは、お嬢様、そう自暴《やけ》におかぶりになっては、第一のぼせて毒でございます、ちとお発《はっ》しなさいまし」
 傍へ寄って来て、かぶっていた夜具へ手をかけ揺《ゆす》ったものですから、その夜具が遽《にわ》かに躍り出すと、
「金公、なんといういけ[#「いけ」に傍点]図々しいんだい」
 むっくりとハネ起きざま、金助の横面《よこっつら》をイヤというほど食らわせたのは、お銀様ならぬ親方のお角であります。
「あ、これはヒドイ」
 金助はお角にハリ飛ばされた横面をおさえて飛び上ると、
「金公、お嬢様を逃がしたのはお前だろう、手前《てめえ》がよけいなことを喋りゃがったんだろう」
 お角はつづいて金助の胸倉をとりました。
「まあまあ、親方、そう手荒いことをなさらなくっても話はわかりますよ」
「この野郎、お嬢様によけいなことを喋りゃがって、手前が手引をして逃がしたに違いないんだ。そうして、よく図々しく来られたもんだね。さあ、どこへお嬢様を隠したかお言い、言っておしまい、言わないとこうだよ」
 お角は金助の胸倉をギュウギュウ締め上げますと、金助は眼を白黒して悲鳴を上げ、
「死ぬ……圧制……お梅ちゃん、助けて下さい」
 下でお梅も人が悪い。助けを呼ぶ声を聞き流して、腹をかかえて、声を立てないで笑いころげています。
「真ッ直ぐに言っておしまい」
 お角は金助を締めたり、ゆるめたり。
「親方、あの神尾主膳様が近いうち、田舎《いなか》を引払ってこちらへおいでなさるそうで」
「そんなことを聞いてるんじゃありません、お嬢様をどこへやりました」
「それは存じません。どうかもう少しここをおゆるめなすって下さい、咽喉《のど》がつまって声が出ませんから」
「正直にいっておしまい、あのお絹のおたんちん[#「おたんちん」に傍点]に頼まれたんだろう」
「決して、そういうわけじゃございません、現にこうして、お嬢様がここにお休みなすっていらっしゃるとばかり存じて、上って来たようなわけでございますから……」
「しらばっくれちゃいけないよ、今お前、下で何といったい、お嬢様にそっと申し上げてしまったとか、お力になって上げたとかなんとか言っていたろう、お前でなけりゃ、手引をして逃がす奴はないんだよ」
 そこで金助がスッカリ泥を吐かせられてしまったけれど、別段、この野郎が計略を構えて、お銀様をおびき出したというわけではない、ただよけいなことを喋《しゃべ》ったというだけにとどまるが、このよけいなお喋りのために、お角は大事の金主元を失い、これからのてちがいを心配してみると、この野郎の面《つら》が癪《しゃく》にさわってたまりませんから、
「ホントに、おっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]ほど怖いものはありゃしない」
と言って、その横面をまた一つピシャンと食らわせたものですから、金助は生ける色がなく、お角の手が弛《ゆる》んだのを幸いに、丸くなって逃げ出し、梯子段をころげ落ち、土間へ辷《すべ》り出して、下駄を突っかける暇もなく、両手でひっつかんで、格子戸を押開け、はだし[#「はだし」に傍点]で外の闇へ逃げ出してしまいました。下にいたお梅は胆をつぶして、
「あらあら、金助さん、わたしの下駄を片一方持って行ってしまって……」
 これは笑いごとではない。金助はあわてて自分の穿いて来た後丸《あとまる》の下駄と、お梅の大事にしていたポックリ[#「ポックリ」に傍点]を半分ずつ持って逃げ出してしまったものだから、お梅は泣かぬばかりに口惜《くや》しがって、あとを追っかけてみましたけれど、どこへ行ったか影さえ見えません。
 これはお梅にとっては一大事で、南部表にしゅちん[#「しゅちん」に傍点]の鼻緒。鼻緒にも、蒔絵《まきえ》にも、八重梅が散らしてある。当人も自慢、朋輩《ほうばい》も羨ましがっていたポックリ[#「ポックリ」に傍点]を、半分持って行かれたから、口惜しがるのも無理はありません。みんな持って行かれたわけではない、半分は残っているのだけれど、下駄の半分ばかりは、残されたところで有難がるわけにはゆかない。
 二階ではお角がおかしくもあるし、腹も立って、それでも、あの野郎、神尾の殿様が来るとか来ないとか、頼まれた用事もあってやって来たらしかったが、それをいい出す暇もなく逃げ出してしまった。こちらもなお聞きただしたいこともあったのに、かんしゃく[#「かんしゃく」に傍点]紛《まぎ》れにとっちめて、薬が利《き》き過ぎた。しかし、どのみち二三日たてば、ケロリとして出直して来る奴だと思いました。
 おかしかったのはその翌日の朝、両国橋の女軽業のおちゃっぴイ[#「おちゃっぴイ」に傍点]の一人が目の色をかえて、お角のしもたや[#「しもたや」に傍点]へ飛び込んで来て、
「親方、大変です、梅ちゃんが心中をしてしまいました」
 その声を聞きつけて挨拶に出たのが当のお梅でしたから、両人顔を見合わせて、これはこれはとあきれました。
「梅ちゃん、お前ここにいたの?」
「ええ、いましたとも、心中なんかしやしないわ」
「でも、たしかに梅ちゃんだって、みんなが言うから、わたし、ちゃあん[#「ちゃあん」に傍点]と見届けて来たのよ」
「そんなはずはないわ、わたしはここにいたんですもの」
 落語の二人久兵衛のような話で、二人ともに煙《けむ》に巻かれてしまいました。
 あんまりおかしいから、お梅がよく尋ねてみて腹を立てました。
 それはこういうわけです。
 心中があると騒ぎだしたのは、この朝、両国橋に男物と女物との下駄が半分ずつぬぎ捨ててあったのを、通りがかりのものが見つけ出して、それ心中だと大騒ぎになり、例によって黒山のように人だかりがはじまった中へ、女軽業のおちゃっぴイ[#「おちゃっぴイ」に傍点]連《れん》もかけつけて見ると、女物の下駄に見覚えがある。
「あら、このポックリ[#「ポックリ」に傍点]は梅ちゃんのだわ、ちがいないわ」
 そこで、心中の片割れは、親方のお気に入りの娘分、お梅にまぎれもないということになってしまい、早速こうして御注進に駆けつけてみると、心中の片割れであるべきはずの御当人が、平気で挨拶に出たから双方あっけに取られた始末です。
 注進に来た、おちゃっぴイ[#「おちゃっぴイ」に傍点]の方は、まあ間違いでよかったと安心したが、納まらないのはお梅で、
「ばかにしているよ、あんな奴と心中なんかするものか」
 ぷんぷんと腹を立てました。
「あんな奴って誰のこと?」
 おちゃっぴイ[#「おちゃっぴイ」に傍点]は合点《がてん》ゆかない。
「何だ、あんな奴と心中なんか、誰がするもんか」
 おちゃっぴイ[#「おちゃっぴイ」に傍点]にはお梅の不機嫌なわけが、いよいよわからない。
「女物はたしかに梅ちゃんのに違いないが、男のは後丸《あとまる》のしゃれた[#「しゃれた」に傍点]形なのよ」
「ふうちゃん、外聞が悪いから、早くその、わたしのだけを持って来てしまって頂戴な、男のなんかかまやしませんよ、川の中へ蹴込んでおやりなさい、このごろは下駄泥棒がはやるんですとさ」
「それじゃ、梅ちゃん、お前さんの下駄を盗まれたの?」
「大抵そうなんでしょう」
「まあ。でも無事で安心したわ、早くその下駄を持って来ちまいましょう」
「持って来て頂戴」
 おちゃっぴイ[#「おちゃっぴイ」に傍点]は大呑込みにして、急いで行ってしまう。
「ホントにばかばかしいったらありゃしない、金公の野郎、覚えていやがれ」
 余憤容易に去らず、これは昨晩、金助が両国橋まで一目散《いちもくさん》に逃げて、さてその下駄を突っかけようとして見ると、片一方だから、やむを得ず、そこへ並べて置捨てにしていったものに相違ない。
 これがためにあらぬ浮名を受けたお梅は、相手が相手だから、浮名儲《うきなもう》けにもならないと思って、しきりに口惜《くや》しがっているのをお角が慰めて、
「まあ我慢おし、そのうちあの野郎が来たら、水をブッかけておやりなさい。それから今日はちょっと[#「ちょっと」に傍点]廻り道をして行きたいから、早く出かけましょう、梅ちゃん、そのつもりで支度をし」
 ほどなく軽業小屋から留守番に来た女連《おんなれん》といりかわりに、お角はお梅をつれてこの家を出て行きました。
 いつもならば直接《じか》に回向院《えこういん》の興行場へ行くのに、今日はどこぞ廻り道をするところがあるとみえます。

         十九

 お角はお梅をつれて柳橋の遊船宿に立寄り、駒井甚三郎を訪ねてみましたが、不在とのことであります。
 不在といっても、房州の洲崎《すのさき》へ帰ったのではない、昨日の夕方、ただひとりでどこかへ出かけていったままだとの返事でしたから、お角も少し失望しました。
 しかし、お角は必ずしも駒井だけを当てにして来たのではないと見えて、そのまま素直に踵《きびす》を廻《めぐ》らしてしまいます。
 船宿の亭主が答えたように、駒井甚三郎が、昨夕《ゆうべ》宿を出てまだ帰らないことは事実であります。どこへ行ったか、それは別段、問題にするほどのことではない。その夕方、駒井はどう気が向いたものか、絶えて久しく訪れなかった番町の自分のもとの屋敷の方へ、おのずと足が向いたのであります。
 人通りの少ない時、明りのしているお長屋の前に立って、駒井は暫く様子をうかがっていましたが、
「一学、一学」
と駒井は低い声で呼びました。
 お長屋のうち、ここだけが明りがしていたから、その明りをたよりに呼びかけたところが、
「ナニ、誰じゃ、どなたでござる」
 中では、やや狼狽《ろうばい》したものの返答ぶりです。
「一学、おるか」
「へえ……」
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