込みは勇ましいもので、自分にしてからが、上様だとか、公方様《くぼうさま》だとかいう口の下から、現在自分が世話になっている大切の薬籠持《やくろうもち》に対しては、国公だの、この野郎だのと、頭ごなしにやっていたのは、相済まないわけである、今後は上様、公方様、殿様、爺様、婆様、おびんずる[#「おびんずる」に傍点]様並みに、国公を呼ぶにも国公様を以てする――門弟の道六に対しても、子分のデモ[#「デモ」に傍点]倉、プロ[#「プロ」に傍点]亀らに対しても、お出入りの馬鹿囃子に対しても、野幇間《のだいこ》の仙公に対しても、その通り、例外というものがあっては平等が意味をなさないと、スバらしく気焔を揚げたものです。すると物和《ものやわ》らかな豆腐屋の隠居が、
「先生、それではいかがでゲスな、物の本に出ておりまする昔の英雄、豪傑といったような者も、みな『様』づけでお呼びになりますか」
「そうだとも、無論のことだ、英雄、豪傑というものは神様の次だ」
「そう致しますると先生、弓削道鏡様《ゆげのどうきょうさま》が和気清麻呂様《わけのきよまろさま》を……」
「そうだとも」
「楠正成様が足利尊氏様に亡ぼされ……」
「その通り」
「曾我の兄弟様が工藤祐経様《くどうすけつねさま》をお討ちになった……」
「それに違いないじゃねえか」
「太閤様のところへ、石川五右衛門様が盗賊にお入りになった……」
「そうだとも」
「それじゃ先生、どちらがいい人間だか、悪い人間だか、わからなくなっちまいますね」
「べらぼう[#「べらぼう」に傍点]様、天のような広い心を持て。天は悪い奴にも、いい奴にも、おなじように日を照らせたり、雨を降らせたりする」
 先生の気焔が、いよいよあがって、ものやわらかな豆腐屋の隠居では受けきれなくなりましたから、デモ[#「デモ」に傍点]倉が代って出ました。
「そうすると先生、たとえば芝居を見にいってもですね、団十郎様が由良之助様《ゆらのすけさま》をおやりになったとか、九蔵様の実盛様《さねもりさま》を拝見して来たとかおっしゃるんですか」
「そうだとも。第一、役者だからといって、横町のおちゃっぴイ[#「おちゃっぴイ」に傍点]までが呼捨てにするのは怪《け》しからん、氏《うじ》とか、様とかつけるべきものだ。昔は女寅閣下という名を使ったものさえある」
 そこで、芸名を呼ぶに様をつけて敬意を表する以上は、芸妓にもそれを適用しなければならないし、遊女の源氏名にも無論、様をつけて呼ばなければならない理窟になる――それでは、知らぬ面《かお》の半兵衛とか、来たり喜之助とか、川流れの土左衛門とかいうものに対しては、どうです――という奇問に対しても、先生は少しも驚かず、いやしくも、人格を表明した存在物には、有名であろうと、無実であろうと、そこに区別を立てるようなことがあってはならぬと主張し、最後に、
「さあ、そこでもし、これから後で、愚老が、かりにも人様を呼ぶのに様づけを忘れた場合には、それを一番先に見つけ出したお方様に百ずつ進上する、軽少ながら百ずつ……」
といい出しましたから、子分たちは勇みをなして喜び、いつか先生の尻尾《しっぽ》をつかまえて、百の罰金をせしめてやろうと、腕により[#「より」に傍点]をかけました。どのみち、ひっかかるにきまっている。思えば先生もツマらない約束をしたものですが、先生としては大得意で、天晴《あっぱ》れの名案を考えたつもりで、やがてこの席を終り、薬籠持《やくろうもち》の国公を伴って、都大路をしゃならしゃなら[#「しゃならしゃなら」に傍点]と歩み出しました。

         十七

 宇治山田の米友は、このごろ深刻に苦しんでいます。
 死というものに初めて直面した苦しみを、まとも[#「まとも」に傍点]に受けて、八百長なしに取組んでいるのですから、その苦しみは惨憺《さんたん》たるものであると共に、名状すべからざる奇観です。
 米友といえども、死というもののこの世(或いはあの世との境)に存在することを、いま初めて知ったわけではありません。今更、足もとから鳥の飛び立ったように、「死」というものに驚きさわぐのは、滑稽なようですけれども、「死」の存在を知って、その来《きた》る瞬間までそれを怖るることの少ないのは、多くの人間の常であります。
「今までは人のことだと思いしに、おれ[#「おれ」に傍点]が死ぬとはこいつ[#「こいつ」に傍点]たまらぬ」――死の来る目前まで、舞踏歓楽し、死の直面に来って、はじめて恐怖狼狽する人間の通有性を、米友もまた御多分に漏れず持ち合わせていればこそ、こいつ[#「こいつ」に傍点]たまらぬと噪《さわ》ぎ出したのか知ら――いや、当人はピンピンしている。まだたたき殺しても死にそうもない体格に、ゆるみは来ていない。事実、この男は一度も二度もたたき殺されているのだが、容易に死なない。今もまだその通りで、おれ[#「おれ」に傍点]が死ぬとは思っていないが、死というものが、見るもめざましく眼前に押寄せて、自分を窒息させようとしているのに、それにまとも[#「まとも」に傍点]にぶつかって、周章狼狽しているのです。
 壁を穿《うが》って海を発見したように、土を掘って天を見出したように、お君というものに死なれて、そこから涯《はて》と底との知れない冷たい風が、習々《しゅうしゅう》として吹き出したのに、米友は、恐れ、あわて、おどろき、悲しみ、憂えて、名状すべからざる奇観におちいっているのであります。
 そうして、なお悲惨なのは、米友にあっては、この苦痛をまぎら[#「まぎら」に傍点]かす手段のないことであります。真正面からその苦痛と戦って、直接に解決が終るまでは、一時何かの魔睡によって、その神経を眠らせておくということのできない男であります。
 その夕方、伝通院の墓地にまぎれ込んだ米友は、墓地の中をあてどもなしに歩き廻って、しきりに墓を動かしてみました。
 伝通院は家康の生母水野氏の廟所《びょうしょ》。そこには徳川氏累代の貴婦人の墓が多い。或いは無縫塔、或いは五輪、或いは宝篋印《ほうきょういん》、高さは一丈にも二丈にも及ぶものがあって、米友の怪力を以てしても、ちょっ[#「ちょっ」に傍点]とは動かし難いものばかりであります。
 しかし、この男は、それらのいずれともつかずに、しきりにそれをゆすり試みて歩いている。その様、墓を動かして、そこから何物をか聞こうとするもののように見える。
「墓はこの世からあの世へ通ずる道の蓋《ふた》である」と誰やらが教えた。さればこそ、この男は、蓋を開いてあの世の人のたよりを聞きたがっているのだ。
 ほどなく米友は、非常に大きな五輪の石塔の前に立っている。石塔の高さは台石ともに二丈もあろう。碑面の文字は、模糊《もこ》たる暮色につつまれて見えず、米友は、呆然《ぼうぜん》として腕組みをしながら、立ってその石塔をながめていると、
「友さアん、この石を取って下さいな、この石があんまり重いので、出ることができませんわ」
 米友はハッと自分の耳を疑いました。今の声は果して墓の底から出た声か、それとも自分の耳から出たのか。
「え、何といった」
 米友は両手を耳に当てて、屹《きっ》と五輪の塔の空輪《くうりん》の上をながめていると、
「この石を取って下さい……この石さえなければ、友さんとわたしと自由に話ができるんですけれども……この石が一つあるばっかりで、お前とわたしとは世界が違うんですから悲しいわ、どうしても会えない別々の世界にいるんですもの……」
 米友はその声を聞くと、その声の起った自分の耳朶《みみたぶ》を掻《か》きむしって地団駄《じだんだ》を踏みました。
 程なく、宇治山田の米友は、その巨大な五輪の石塔の上へよじ上《のぼ》り、力を極めて、その空輪を動かしはじめました。
 いうまでもなく、この男は、生と死との間をさかいする蓋《ふた》に手をかけて、これを取り除こうとあせり出したものと見える。
 で、その次の世界から聞える声を、この世で聞こうとあこがれているにちがいない。
 こういう挙動を笑うものは、まだほんとうに死というものの哀切を、味おうた経験のないものであります。
 かりに諸君のうち、その最愛の子女の一人を、失ったものがあるとしてごらんなさい。現在自分がその最後の病床から、野辺のおくりまで見届けても、なお途中で、それによく似た年ごろ恰好《かっこう》の子女にであってごらんなさい、われ知らず前へまわって、その面立《おもだ》ちを見定めなければ立去れないことがある。死というものが万事の消滅だと事実が証明しても、空想がそうは信じさせようとしません――しかも、人生のことは空想が大部分で、人は事実に生きるよりは、むしろ空想に生きているのであります。
 聖人は空想と事実とをよく統一する。狂人はそれを混同する。凡人は、その間《かん》に彷徨《ほうこう》して醒《さ》めたるが如く、酔えるが如し。
 さてここに、宇治山田の米友に至っては、空想と事実との境界が、ほとんど判然しない。この男は人間のこしらえた差別線と高低線に対しては、先天的に色盲のような男で、どうかしてその線にひっかかると、眼の色を変えて怒り出す。この男の怒り方は、反抗的、或いは相対的に怒るのではありません、先天的に怒るのであります。とはいえ、この男を狂者と見るには、あまりに道義的で、同時に常識的のところがあります。
 今や、不幸にしてこの男は、人生の水平線がわからなくなっているように、死と生との分界線がまたわからなくなっているのであります。死が万事の消滅だと信じきれなくなっているのであります。ああ、この何千貫の石の蓋は、かよわき女性のためにはあまりに重い。この蓋あるがゆえに、魂がこの石の下で呻《うめ》き泣いている。
 我々にとって、この重し[#「重し」に傍点]というものはかなりにこた[#「こた」に傍点]える。死して後にこた[#「こた」に傍点]えるのみならず、生ける間にこた[#「こた」に傍点]えていた。我々凡人は、単に生れどころが悪かったというだけの理由で、ずいぶん、意味のわからない重し[#「重し」に傍点]を、かけ通しにかけられて来たようである。おれ[#「おれ」に傍点]はまだ生きているし、おれ[#「おれ」に傍点]の身体は小さくとも、まだまだ充分その重し[#「重し」に傍点]に堪えられる力はあるつもりだが、お君は死んでしまった。死んで後までもこんな重い物をかぶせて、魂を幽冥《ゆうめい》の下までも咽《むせ》び泣かしむる人間というものの仕様《しわざ》の、愚劣にして残忍なることよ。
 そこで、宇治山田の米友が、高さ二丈を数える巨大な五輪塔の上によじのぼって、その風大《ふうだい》の上に足をふまえて、頂上の空輪を取ってのけようとする努力には、彼の持っているあらゆる力が一時に加わりました。
 前にいう通り、この五輪の石塔の主《ぬし》の何者だということは、碑面にはまさしく銘《きざ》んではあるが、暮色|糢糊《もこ》たるがために、読むことができなくなっていました。米友としてはこの墓地は、伝通院殿をはじめ、多くは徳川氏系統の貴婦人の墓を以て充たされているということだけの予備知識はあったのですから、無論、この塔も、さるやんごと[#「やんごと」に傍点]なき婦人たちの石塔の一つに相違はないと思っていたのが、いつか知らず、お君の墓ということになってしまっていました。
 伝通院殿――なにがし[#「なにがし」に傍点]の高貴なる婦人――高貴ならざる婦人――同時に一般の婦人――ただ一人の婦人――お君――虐《しいた》げられたる女――それが今この重し[#「重し」に傍点]にかけられている。
 そこで米友の力には、虐げられた女性のために、一つにはこの圧抑《あつよく》を除き、一つには幽冥の境を撤去開放しようという勇猛力が加わりました。
 そうしてこの男は、双の腕に満身の力をこめて、満面に朱をそそぎ、五輪の塔の空輪をグラグラと動かしました。
 この怪力を以てすれば、空大《くうだい》を頂上から揺り落すことはできるかも知れない。それが成功すれば、次は
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