ていただきたいというわけでもなし、性質は性質としてただ、その手腕《うで》のあるところだけを賞めたのだから、あえて、お咎《とが》めを蒙《こうむ》る筋はあるまいと存じます」
「ああ、うるさい、それほど腕のあるのがお好きなら、観音様へおいでなさい、観音様には腕が千本ある」
「もう、腕の話はやめ……それはそうとしてお絹さん、お前も、恩怨《おんえん》の念は別として、ぜひ一度あの一座を見てお置きなさい、たしかに前例のない見物《みもの》、また後代ちょっとは見られないものですよ。相当の身分ある者が、微行《しのび》でいくらも見に来ています。昨日《きのう》はまたあれで思いがけない人を見出した、多分そうだろうと思ったが、見直そうとしている間に消えてなくなったが、あの男をあんなところで見かけようとは意外千万」
「誰ですか」
「あなたも御存じでしょう、番町の駒井能登守」
「エ?」
 不平満々で横を向いて絵本の空読みをしていたお絹が、この時、思わず向き直ると、福村が、
「甲府の勤番支配をしていた男、神尾主膳と喧嘩をしたとか、しないとかいう男……甲府をしくじっ[#「しくじっ」に傍点]てから切腹したとか、行方不明とか
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