井甚三郎のところへは、お角はしげしげ出入りして、あの当座、多少の融通黙会《ゆうずうもっかい》はあったかも知れないが、今の他人行儀を見れば、このたびの興行に駒井の力は加わっていなかったことは、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵といえども疑う余地はないところであります。
 高利の金を借りた場合には、玄人筋《くろうとすじ》は当人の手にその金が入るより先に、その噂を受取るに違いないが、さっぱりそのことがない。
 だから、玄人《くろうと》は興行の腕よりも、お角の金策の腕に舌を捲いている。
 初日の評判を後にして、その日いっぱいの上り高のしめくくりをしたお角は、払い渡すべきものは即座に払い渡し、大入袋の割振りまできびきびとやっつけて、残った金を両替にすると、それを恭《うやうや》しく紙に包んで男衆を呼びました。
「庄さん、ちょっとそこまで一緒に御苦労しておくれ」
 やはり風の吹いた同じ日の晩。
 一人の男衆を連れたお角は、両国橋の宿を立ち出でました。
 その行先が疑問、それを突き留めさえすれば、金策の問題もおのずから氷釈するに違いありません。通俗に考えれば、これは、てっきり[#「てっきり」に傍点
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