摩が徳川をたすけることになると、せっかく倒れかかった徳川の家に、有力な根つぎが出来た結果になって、そうなっては天下の改革の時がおくれる。徳川と薩摩とを握手させてはならない。江戸の市民をして、薩摩を憎ましめるように、薩摩をして、幕府を脅威せしめるようにしかけなければ、大事をあやまるの形勢となることを、志士浪人の間には深く考えていたものがあるのです。
後の鳥羽伏見の戦いも、一は、この四国町の薩摩屋敷の焼討ちが、退引《のっぴき》させぬことにしたので、志士浪人の計画は、思うように的中し、明治の改革には、これがまた有力な動因とはなっているが、表面上、その形勢を見れば、暴悪の徒を蓄えて、江戸の上下を脅威愚弄した傍若無人ぶりに、腹の立つのも無理のない次第でした。
何事もみな、歴史の大きな潮流の現われに過ぎません。少なくとも関ヶ原の戦いまで遡《さかのぼ》らねば、事の是非善悪は、たやすくは説明のできないことであります。
さても、相生町の老女の屋敷は、構えが相当に大きかっただけに、天明までも燃えつづいておりましたので、見物は山のように群がりました。なかには、これを痛快がって、このついでに三田の四国町
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