か》わすぞ」
「はい」
番頭は青くなりました。青くなったのは、この連中に向っては迷信の権威が甚だ薄いから、よく納得《なっとく》させないかぎり、必ずや九ツ半を期して、その正体を見届けに出かけるに相違ない。そうなると、まんいち間違いの出来た時に責任がある。と思ったから青くなってほうほう[#「ほうほう」に傍点]の体《てい》で、この座敷をすべり出しました。
ここに二人の佐久間象山の門生――といっても象山門下を名乗るものにかぎりはない。ちょっと玄関をのぞいただけでも、都合上その門生の名を利用するものも多い。宿帳にはそうはしるさなかったが、一人は丸山勇仙、一人は仏頂寺弥助、共に信州|松代《まつしろ》の人としてある。
丸山は書生であり、仏頂寺は剣客であります。従って丸山はよく洋書を読み、仏頂寺はよく剣を使う。丸山の学力のほどは知らず、仏頂寺の剣は当時に鳴り響いたものです。
この仏頂寺弥助と、長州の高杉晋作とが試合をしたことがある。その前に、高杉晋作が、はじめ佐久間象山に謁見《えっけん》した逸話がある。
高杉晋作、天下第一の気概をいだいて、江戸に出でて書剣を学ばんとす。その師吉田松陰の勧めに従い、道を信濃に取って佐久間象山に謁す。象山、つくづくと晋作を見て、
「君は幾つになる」
「二十一」
そこで、象山が、またも晋作の面《おもて》をつくづくとうちまもり、嘆息すること久し。
晋作はその時、内心得意でありました。象山が嘆息したのは、おれの英雄心を見て取っての感嘆であろう。そこで、
「先生、僕の歳を聞いて、ナゼそのように御嘆息をなさる」
「されば」
と象山は徐《おもむ》ろに曰《いわ》く、
「おれは十五歳にして、信濃一国に鳴り、二十歳にして日本全国に鳴り、三十歳にして五大州に鳴る。君は二十一歳というのに、おれはまだ高杉晋作なるものの名を聞いたことがない。いったい、君はどこへ年を取っているのだ」
これには、さすがの高杉東行も、黙然《もくねん》として一言もなかった。
ここにいる仏頂寺弥助と高杉晋作とが試合を試みたのはその時です。
仏頂寺は斎藤弥九郎の高弟。そのころ無敵といわれた道場荒し。
当時の佐久間象山は、水戸の藤田東湖と共に一代の権威。諸侯も礼を厚うして、辞を卑《ひく》うしなければ教えを乞うことのできぬ人だから、高杉もこの人に逢っては、油を絞られるのもぜひがない。象山
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