わせる。
「奴、何の用で来た、今時分」
「何の用ですか」
 二人はうす気味の悪い心持でいると、そこへ案内されたのは、
「へえ、これはお二方《ふたかた》、永らく御無沙汰を致してしまいました」
「ナーンだ、金公か」
 五分月代《ごぶさかやき》に唐桟《とうざん》の襟附の絆纏《はんてん》を引っかけて、ちょっと音羽屋《おとわや》の鼠小僧といったような気取り方で、多少の凄味を利《き》かせて、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵が現われることを期待していると、意外にも、それはおっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]の金公でしたから、二人も拍子抜けがしているのを、委細かまわず金助は、
「ちょっと旅に出ていましたものですから、つい、何しまして……御無沙汰を仕《つかまつ》りました」
「どこへ出かけていた」
「お馴染《なじみ》の甲州街道筋をぶらついて参りました」
「面白いみやげ話があらば聞かしてくれ」
「なんせ、山ん中のことでございますから、面白いみやげ話とてありよう道理はございませんが」
と冒頭《まくら》を置いて、金助はべらべらと締りもなく、お角に頼まれて出かけたことから自分の手柄話、結局、このたびの大魔術のことになって、お角という女の親分肌を、口を極めて讃美にかかりましたから、お絹がいよいよ不機嫌になってしまいました。
 来る奴も、来る奴も、ロクなことはいわない。この女の前で、ほかの女、ことにお角を讃めるのは、この女をコキ下ろす結果になるということを、御当人ほどに誰も気がつかない。お角の腕を認めるのは、つまりこの女の働きのないことを当てこす[#「こす」に傍点]る意味になるのを、誰も御当人ほどに受取らない。
 そうでなくても、このごろは、食い足りないことばかりで、焦《じ》れったがっている。当座の安心のために、福兄に身を寄せてはいるが、福兄に、わが物気取りでヤニさがられているのが嫌だ。
 そうかといって、謀叛《むほん》を起そうにも、今はちょっと動きが取れないことになっている。当座の腐れ縁とはいえ、一人の男を守っている現在の意気地なさに、自分ながら愛想《あいそ》がつきる。それも大した男ならトニカク、福兄あたりでは自慢にもならない。ところへ、向《むこ》う河岸《がし》では盛んな景気で、思う存分の腕を揮《ふる》っている上に、聞き捨てにならないのは、お角が駒井能登守ほどの男を自由にしてい
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