こうむ》ると致しまして」
そこへ腰をかけて、草鞋《わらじ》を解きはじめたのは、金助というおっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]で、今、旅の戻りと見える気取ったいでたち[#「いでたち」に傍点]です。
「草鞋ばきなんですか、ずいぶんお忙がしそうですね」
「どう致しやして、忙がしいのなんの……これも誰ゆえ、みんな忠義のためでございます」
くだらない軽口をいって草鞋|脚絆《きゃはん》を取っていると、お梅は早くも水を汲んで来て、
「金助さん、お洗足《すすぎ》」
「これはこれは、痛《いた》み入谷《いりや》の金盥《かなだらい》でございますな」
「さあ、お上りなさいまし、母さんはじきに帰って来るといいおいて出ましたから」
「左様でゲスか……いやどうも、これでわっしも性分でしてね、頼まれるといやといえないのみならず、身銭《みぜに》を切ってまで突留めるところは突留めないと、寝覚めの悪い性分でゲスから、随分、骨を折りましてな。それでも骨折り甲斐も、まんざらなかったという次第でもございませんから、取る物も取りあえずにこうして伺ったわけなんですよ」
「御苦労さまでしたね」
「早速御注進と出かけて見れば、頼うだお方はお留守……少々|業《ごう》が煮えないでもございませんが、お梅ちゃんからこうしてお茶を頂いたり、お菓子をいただいたり、御苦労さまなんていわれてみると、悪い気持もしませんのさ」
「ほんとうに、お気の毒でしたね。でも母さんが、もう帰って来ますから、なんならお風呂にでもおいでなすったら、いかがです」
「そのこと、そのこと、よいところへお気がつかれました、旅の疲れは風呂に限ったものでゲス。では、ひとつ、御免を蒙って……」
「金助さん、お召替えをなさいましな」
「お召替え? それには及びませんよ」
「まあ、そうおっしゃらずに」
「どうも恐縮でゲス。おやおや、昔模様謎染《むかしもようなぞぞめ》の新形浴衣《しんがたゆかた》とおいでなすったね。こんなのを肌につけると、金助身に余って身体《からだ》が溶《と》けっちまいます。すべて銭湯に五常の道あり、男湯|孤《こ》ならず、女湯必ず隣りにあり、男女風呂を同じうせず、夫婦別ありといってね……」
このおっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]が歯の浮くような空口《からぐち》をはたいて、しきりにそわそわしているのは、この家としては近ごろ異例
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