。ですから、旅先で、二宮流の講義などを聞いていると、つい感心してしまって、自分も、どこか、広々とした野原へ出て開墾をして、そこに自由な新天地を開いたら、どのくらい愉快だろうと空想することもあるくらいですから、百姓が嫌いといったのをクス[#「クス」に傍点]ぐったく思います。
さて、右の四五人連れの神楽師の旅装を見ると、笠をかぶり、脚絆《きゃはん》、甲掛《こうがけ》に両がけの荷物、ちょっとお鷹匠《たかじょう》といったようないでたち[#「いでたち」に傍点]ですけれども、脇差を一本しか差してはおりません。
七兵衛は同行しながらも、この中のドレが親分だろうと鑑定を試みましたけれど、結局ドレが親分という様子もなく、ドレが子分だという関係もないようです。
七兵衛は、またこの親分子分という関係がだいきらいなのです。親分子分というものは、侠客《きょうかく》とかバクチ[#「バクチ」に傍点]打ちとかいう社会にはなくてはならぬものだろうが、世の中が進歩すればするほど、それがなくなるべきはずだと信じているのです。
親分と立てられたいために、ツマらないみえや犠牲を払い、子分はまた親分に養ってもらうために、無理をしてまで親分に箔《はく》をつけようとする。親分は無理をして子分をカバおうとする。子分は無理をして親分を立てようとする。そういうのを美談のように考えているのは大間違いで、その道によって長者と先輩は尊敬しなければならないが、親分子分の関係を作るのは愚の至りだと信じているのです。ですから、上方《かみがた》へ行って本願寺のお説教を立聞きした時も、ほかのところの有難味はよくわからなかったが、「親鸞《しんらん》は弟子一人も持たず候」といった一句に、ヒドク共鳴して、いわゆる御開山様なるものはエライと感心して帰ったことであります。
ところで、この神楽師の一行は、親分子分の愚劣な関係を復習して、得意がっている連中ではなく、おのずから和して同ぜざるの見識があるように思われる。
こうして七兵衛は、江戸へ行くまでの十五里の行程を、この連中の観察と研究とを題目として行くつもりで出かけますと、ほどなく例の木を伐《き》り払って、山を崩しているところまで来ました。
ここへ来ると、一行がたちどまって、
「おお、木を伐っています」
「おお、山を崩しています」
といって眼を円くしてたちどまり、
「木を伐って何を
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